1969年のレコード大賞に輝いた佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』は、後ろ指をさされながらも恋心に流されて生きる乙女の心情を歌った曲で、それは同年に
阪神入りした田淵幸一にとってもお気に入りの一曲だった。
「いつも自分が幸せ者だと思っていれば文句も出ない。『いいじゃないの幸せならば』という考え方に、僕はものすごく共鳴するなあ」
1年目から正捕手に定着し新人王。その後、75年に本塁打王、79年の
西武移籍後は2度の日本一を経験。ケガに悩まされ続けた現役生活だったが、悲壮感をうかがわせない明るいキャラクターで球界のスターに君臨した。
自他ともに認める
楽天家は、打率ランキングの下位に低迷しても「毎朝、新聞で順位を見るのが楽しみ。逆さにすればベスト3に入るから」と冗談を飛ばし、入団当初77キロだった体重が数年で90キロを超えても「太ったから打てないとか、やせたから打てるとか、そんなことは関係ない」とマイペースを崩さず。
ストイックなアスリートのイメージとは対極にいた田淵が、たびたび口にしたのが「人間は感情の動物ですから」という言葉だった。
現役最終年となった84年のオールスター第2戦。久々の甲子園凱旋にスタンドから大「タブチ」
コールが起こったが、出場機会は与えられず。それにショックを受け現役続行への気持ちが途絶えたと引退後に明かした田淵は、最後に先述の口癖を繰り返した。
自由奔放に、日本一美しいと言われた放物線を描き続けたアーチストは、感情のおもむくままにバットを置いた。
写真=BBM