自信に満ちたマウンドさばきで打者をきりきり舞いさせたエースたち。彼らはマウンドだけでなく、言葉も自信に満ちていた。ここでは、彼らの「エース語録」をまとめてみた。 堀内恒夫(元巨人)「バカでエースがつとまるか!」
V9時代の
巨人のエース。あだ名は「悪太郎」。負けん気の強いピッチングで高卒ルーキー時代に開幕13連勝も記録した。
米田哲也(元阪急ほか)「エースの哲学?何にもない!弱いチームのモチベーションは、強いチームをいじめたれや!です」
当時弱小だった阪急のエースとして1956年〜70年まで年間200回以上登板。68年には348回2/3を投げた「ガソリンタンク」の異名を取るタフネス右腕。
金田正一(元国鉄ほか)「あのときのボールは長嶋(茂雄)だけじゃなく、だれも打てません。金田野球は見せる野球ですよ!」
1958年4月5日の開幕戦(国鉄対巨人=後楽園)での
長嶋茂雄デビュー戦で4打席4三振を奪ったときのことを回想。それまでヒジの痛みに悩まされていたが、開幕前には痛みが消えていたという。
小山正明(元阪神ほか)「当時の球は軽く150キロを超えていた。しかも、あまり減速しない」
投げる精密機械と言われていた全盛期の投球を回顧して。
杉下茂(元中日ほか)「オレがこれをほうったら君らは打てんよ、と印象付ければいい。もうフォークを投げる必要ない。まあ絶対の自信があって、打たれてたまるかいだった」
伝家の宝刀・フォークを相手打者に見せただけで、抑えられた。
村田兆治(元ロッテ)「『人生先発完投』はしっかりと自己を確立し、限りなき挑戦をどこまでも続けよ、ということ」
豪速球とフォークを武器に完投を信念として投げ抜いた
ロッテのエース。トミー・ジョン手術から復帰後も、完投をモットーにした。
江川卓(元巨人)「見逃してもストライク、振ってもストライクという投球をベストと考えていた。相手次第という球を投げたくなかった」
スピンの掛かった直球で打者を圧倒。その信念は、フォークなど振らなければストライクにならぬ球種は投げずにストライクゾーンのみでの勝負にこだわった。
北別府学(元広島)「今日も思ったように投げられて、思ったような結果になるだろうな、と感じ、そしてそのとおりになる」
直球、スライダー、
シュートなどすべてにおいて、精密なコントロールとキレを持っていた全盛期時のコメント。
江夏豊(元阪神ほか)「速い球で巨人をねじ伏せるんや。それができんようになったらいつでもやめたる」
阪神時代の若きエースとしての言葉。1968年に年間401奪三振の世界記録を作るなど、剛腕サウスポーとして一世を風靡した。
村山実(元阪神)「1500奪三振、2000奪三振は長嶋さんから奪う」
ザトペック投法で打倒・長嶋茂雄(巨人)に向かっていった阪神の大エース。その言葉どおり長嶋から記録を達成した。
工藤公康(元西武ほか)「やられたらやり返すで真っすぐをホームランされたら、また真っすぐでいく」
常勝・
西武の左腕エース。小柄な体格ながら、伸びのある真っすぐと大きなカーブを駆使し、大試合に強かった。
鈴木啓示(元近鉄)「ようし、オレが弱いところを強くしてやろうじゃないか!」
弱小・近鉄のエース。雑草魂と「この野郎!」精神で近鉄を強豪チームに押し上げ、2度のリーグ優勝に貢献した。
写真=BBM