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【おんりい・いえすたでい】米田哲也、小林繁、川口和久が鳥取の高校野球から消えてしまった!? 野球記者は日本の野球史をしっかり勉強すべし!

 

文=大内隆雄


 朝日新聞の連載企画、「ありがとう夏100回これからも 甲子園ベストゲーム47 1915─2018」はなかなかの好企画で愛読しているのだが、2月27日付の「鳥取」編だけは「オイ、オイ、オイ」だった。1ページの上半分は、鳥取県の夏の甲子園100年のベストゲームを詳細にたどり(84年の境高-法政-高戦)、下半分で鳥取県の高校(旧制中学)出身の有名選手を紹介しているのだが、この下半分がいけない。読者のあなた、鳥取県→境高という連想ゲームなら、すぐにあの大投手を思い出しませんか?

 そう、プロ野球で歴代2位の350勝をマークした米田哲也投手(境高、元阪急ほか)です。この大投手の名がないのです。「その下半分は甲子園出場者に限っているんじゃないの」と思った方もいるかもしれませんが、さにあらず。「甲子園には出ていないが」と角盈男(米子工高、元巨人ほか)、加藤伸一(倉吉北高、元南海ほか)、野口裕美(米子東高、元西武)、能見篤史(鳥取城北高、現阪神)などの名が挙げられているのだ。しかし、大事な人が少なくとも3人抜けている。先の米田、そして小林繁(由良育英高=現鳥取中央育英高、元巨人ほか)、さらに川口和久(鳥取城北高、元広島ほか)。小林は139勝の20勝投手。川口も139勝の2000奪三振投手。3投手合わせて628勝! この偉人たちの名前を忘れるとは、いまの朝日新聞も困ったものだ。もっとも、これはチェックできなかった担当デスクの責任でもあるのだが……。

 川口は小誌で「川口和久のスクリューボール」を連載しているが、これを読んだら頭にデッドボールを食らったような気持ちになることだろう。今回の教訓その1。野球記者なら、日本の野球の歴史を勉強せよ。その2、取材対象をできるだけ広げよ。その記事に必要な人物のみを見ていると、今回のような陥穽(かんせい)にはまってしまうことがある。

 今週は野球殿堂入りの米田さんの名誉をばん回する必要があるので彼の懐かしい1枚を探すことにした。境高の記事から始まった原稿だから米田さんの境高時代の写真(54年ごろ)でどうだろう。プロ1年目の55年、米田投手は9勝。投球回はそれでも204回。これだけ投げて被本塁打わずかに3。そのボールは速くて重かった。

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