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伊原春樹コラム「史上2番目の年少記録で2000安打達成! 坂本勇人の最高の武器は強い精神力」

 

11月8日のヤクルト戦[東京ドーム]で通算2000安打をマークした坂本[写真=榎本郁也]


 ついに大台に到達した。11月8日のヤクルト戦(東京ドーム)、初回に巨人坂本勇人が左翼線へ二塁打を放って31歳10カ月と史上2番目の年少記録で通算2000安打を達成。まずは「おめでとう」という言葉を送りたい。

 私と勇人は巨人で“同期”ということになる。2007年、勇人は光星学院高(現・八戸学院光星高)から高校生ドラフト1巡目で巨人入団。同年、私も原辰徳監督の下でヘッドコーチとして巨人のユニフォームを着た。以来、10年までの4年間、勇人とともにプレー。印象深いことは多々あったが、最初に頭に思い浮かぶのはプロ初安打のシーンだ。

 1年目、勇人は開幕からファーム暮らしで二軍の試合に出続けていた。7月に代走で一軍初出場したが、シーズン終盤再び一軍昇格。9月2日の横浜戦(横浜)では「八番・遊撃手」で初スタメンを果たし、初打席も経験していた。そして迎えた6日、優勝争いをしていた中日戦(ナゴヤドーム)。同点のまま延長へ入ったが、12回表、二死満塁の場面で投手の上原浩治に打席が。ここで代打起用されたのが勇人だった。どんなバッティングをするか私も注目していたが、ガシャンと詰まりながらもセンター前へ打球を運んだ。これが決勝打となったわけだが、こんな緊迫した場面で結果を残した背番号61を見て、原監督と「アイツは何かを持っていますね」と話したことを覚えている。

 2年目、勇人は春季キャンプで一軍に抜てき。打撃にはまだ力強さはなかったがソコソコ打ち、遊撃守備も無難にこなしていたが、私がそれまで見てきた清原和博秋山幸二(西武)の高卒2年目時と比較すると正直、物足りなさはあった。しかし、勇人はやはり「持っていた」。

 開幕一軍に勇人は残ったが、レギュラーというわけではなかった。開幕を控えた前日、原監督とスタメンに関して話し合いを行ったときのことだ。セカンドの候補として木村拓也ゴンザレスはいたが、レギュラーが定まっていなかった。すると、原監督がいきなり「セカンドは坂本で行きましょう」と言い始めた。私は焦った。なぜなら、勇人はセカンドでノックすら受けたことがなかったからだ。セカンドは付け焼刃でできるポジションではない。ゲッツーの際、ランナーからのスライディングを受けてケガを負ってしまう可能性もある。「危険ですよ」と私は言ったが結局、原監督は腹を決めて坂本に託すことになった。

 3月28日のヤクルト戦(神宮)、勇人は「八番・二塁」でスタメン出場。私は「危ないプレーが起こるなよ」と祈るような気持ちで勇人を見ていた。それが試合中にショートの二岡智宏が右ふくらはぎを肉離れして、途中でベンチへ退いた。二岡には悪いが、心の中で「良かった」と私は安ど。そこから勇人はショートのレギュラーをつかんだ。もし、二岡が離脱することなく、勇人はそのままセカンドとして出続けていたらどうだったか。もしかしたら、恐れていた事態が起こってしまったかもしれない。そういう意味でも勇人は「持っている」男だった。

 超一流選手へと駆け上がれたのは、技術はもちろん、精神力の強さがあったからだろう。例えば2年目、勇人は東京ドームで行われたある試合で遊ゴロを処理した際、一塁へ緩いスローイングをした。それを見ていた原監督は勇人がベンチに戻ってくるなり、「なんだ! へなちょこボールを投げて!!」と叱責した。

 悪びれた表情を見せなかった勇人だが、次の回、また遊ゴロが飛んできた。そのとき捕球して、ファーストへの送球がすごかった。目いっぱい力を入れて投げたが、ボールはファーストのはるか頭上への大暴投。私はそれを見て原監督の隣で感心したものだ。原監督に叱責され萎縮するのではなく、反骨心が芽生えたのだろう。結果的に力が入り過ぎて暴投になってしまったが、高卒2年目の選手が簡単にできることではない。本当に精神的に強い選手だと思ったものだ。

 今後の目標は3000安打だ。私は数年前から勇人に「狙え」と発破をかけ、そのたびに「無理ですよ」と苦笑していたが今年の12月で32歳だから十分に可能性はある。張本(張本勲)さんの3085安打の日本記録を超え、ぜひ「アッパレ!」ももらってほしい。

PROFILE
伊原春樹/いはら・はるき●1949年1月18日生まれ。広島県出身。北川工高(現・府中東高)から芝浦工大を経て、71年ドラフト2位で西鉄入団。76年巨人に移籍し、78年古巣ライオンズに復帰して80年限りで現役引退。通算成績は450試合出場、打率.241、12本塁打、58打点。81〜99年に西武で守備走塁コーチを務め、西武黄金時代の名三塁コーチとして高い評価を受ける。2000年阪神コーチ、01年西武コーチから02〜03年西武監督、04年オリックス監督を歴任。07〜10年巨人ヘッドコーチを務め、14年は西武監督。現在は野球解説者として活躍している。

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