尾崎は高卒のピッチャーとして史上最高と言っていい素質を持っていた
低めに伸びる快速球。まさに“怪童”だった
これまでに私が見てきた高卒のピッチャーの中で最高だと言えるのが、東映フライヤーズでともにプレーした“怪童”
尾崎行雄だ。右左で1人ずつ選ぶなら、左ピッチャーは
江夏豊(元
阪神ほか)になるだろう。
尾崎は私にとって浪商高の後輩にあたる。1961年に快速球を武器に2年生で夏の甲子園の優勝投手になると、11月に高校を中退して東映に入団してきた。9月11日が誕生日だったから、17歳になったばかりでプロの世界に飛び込んできたことになる。しかし、とても17歳とは思えぬ体つきをしていた。胸板は厚いし、腕が長い、加えて体も柔らかい。一緒に寮で風呂に入ると、肩回りの筋肉もすごい。17歳でもすごいピッチャーがいるなと思ったものだ。
プロ野球史上における速球投手の話題になれば、今でも必ず尾崎の名前が挙がる。それほど真っすぐは速かった。高卒のピッチャーでは今年
ロッテに入った
佐々木朗希や
日本ハムにいた
大谷翔平(現エンゼルス)も、高めの球だけを見れば尾崎や江夏とさほど変わらぬだけの球を投げる。だが、尾崎と江夏は低めの球も非常に速く、グーっと伸びた。低めにあれだけ速く重い球を投げることができるピッチャーはそういない。
最初の練習のときにはチームの誰もがそのピッチングを見にいった。エース格だった土橋のあんちゃん(
土橋正幸)が「ハリ、すごいのが入ってきたぞ!」と興奮気味に言っていたほどだ。61年は私が初めて首位打者を獲得した年だが、そんな私でもキャンプなどで打席に入ると・・・
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