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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第17回 二軍遠征試合の思い出(前編)

 

筆者の現役時代、寮から多摩川のグラウンドに向かう巨人の二軍バス


槙原が食らったビンタ


 先日、「ミスター・パーフェクト」こと、槙原寛己さんのYouTubeを見た。「巨人のオージー・スミス」「バントの名手」こと、川相昌弘さんとの対談だった。番組冒頭の話題は、やはり「入団時、そして多摩川グラウンド」だ。まさに、その時代をともに過ごした仲間として、懐かしく、彼らの面白い話を楽しんだ。

 マキ(槙原)が言う。「グラウンドに着くなり、いきなり『ハイ、一列に並んでー、石拾い!』ってのは驚いたよなぁ。一応俺たちプロだよ、プロ!」。そうなのである。草むしりから始まることだってあった。マキ、俺だって、同じことを思っていたぜ(笑)。

 そう言えば、監督、コーチ、選手、スタッフ全員で石拾いをしている最中、マキは急にお腹がゴロゴロしたんだろうなぁ、ズボンのベルトを緩めながら、多摩川の土手の階段を勢いよく駆け上がり、クラブハウスにあるトイレに飛び込んだ。ホッとした表情でグラウンドに戻ってきたマキ。グラウンドでは「槙原はどこに行ったんだぁ!」とサングラスを掛けた高橋善正二軍投手コーチがご立腹だ……。マキは恐れおののき、弱々しい声で「トイレに行ってました……」と答えた。

 その瞬間、善さんのビンタがマキの右頬を襲った。無断でグラウンドを離れたというのが鉄拳の理由だったらしいが、マキは災難だったなあと、僕らには映った。朝、サングラスを掛けてグラウンドに来るときの善さんは二日酔いのときが多く、できれば近づかないほうがいいというのは誰もが察知していることだったからだ(笑)。

 昭和の時代を背景に繰り広げられた、思わず「え、ホント?」と言ってしまうような昔の話、今回は特に「二軍の遠征試合」にスポットを当てたいと思います。

 僕が入団して間もない1980年代「ファームの遠征」は必ずと言っていいほど、週末に組まれた。関東近県はもちろんのこと、北海道、関東甲信越、北陸、四国、山陰、九州など場所は全国に及んだ。

 特に81年には甲子園大会に春夏連続出場の東北高のエース左腕・中条善伸投手が入団、東北地方での試合興行は過熱する。そして83年には三沢高のエースで、「甲子園のアイドル」として沸かした太田幸司さんが阪神から移籍し、地元青森の遠征にも参加。ますます東北での試合興行は賑やかに活気づき、連日二軍戦とはいえ、スタンドは常時満員という状況が続いた。

 僕らはほぼ毎週のように東北地方での「ファーム遠征」に出掛けて行った。福島、郡山、仙台、石巻、気仙沼、盛岡、八戸、青森、三沢、弘前、秋田、角館、八郎潟、山形、米沢、酒田などなど、まだまだある。

 このとき・・・

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