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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第93回 合掌…。読売巨人軍ジャイアンツアカデミー副校長 松尾英治

 

1983年、戸塚高からドラフト外で巨人に入団した松尾さん


ドラフト外の「隠し球」


 ジャイアンツの裏方として、ともに働いた松尾英治君が2023年1月27日、病に倒れ、そのまま若くして帰らぬ人となってしまった。58歳だった……。

 エッ? 松尾が!? エッ? なぜだ! 何度も何度も耳を疑った……。あんなに元気だったのに……。昨年、僕が巨人軍退団後、初めてジャイアンツ球場にあいさつに行ったときは、元気良くいつもの笑顔を見せてくれた。「こんな状況(コロナ禍)で行動が制限されていますが、逆に運動する時間が取れて、スマートになりましたよ」と笑っていたのに……。いくつになっても、しっかりした丁寧なあいさつは変わらず、さすが長年一軍、二軍のマネジャーを務め、若い選手たちのお手本として、その教育に携わっていた男だと感じさせた。

 僕は彼を「マツ」と呼んでいた。初めて出会ったのは1983年、当時「聖地」と呼ばれた多摩川グラウンドだった。185cmの長身、足が長く、マスクもいい。今で言う「イケメン」だ。横浜市立戸塚高校出身で1年目のマツはまだ体の線も細く、当時の野球選手というイメージからは離れている「優男」という印象だったのを覚えている。

 マツは入団の前年、巨人軍の入団テストを受けていた。巨人軍の元スカウトだった伊藤芳明さんが入団テスト当日のことを話してくれた。伊藤さんは現役時代、ジャイアンツの左腕エースとして活躍、1963年には先発投手の最高の栄誉、「沢村賞」を受賞している。

「松尾はいいフォームをしている背の高いピッチャーだったんだよ。すぐに地区担当の加藤君(加藤克己、元巨人軍捕手、故人)に伝えて二人で見定めた。すぐに実技はやめさせて終了、もちろん合格!」

 こうしてマツはプロのスカウトの目に留まり、いわば「ワンチャンス合格」で巨人軍入団を勝ち取り、ドラフト外入団のまさに「隠し球」になった。マツのドラフト同期入団には斎藤雅樹川相昌弘藤本茂喜(元巨人スカウト)の高校出身の3選手がおり、泥にまみれて毎日を送る新人らの中にマツもいた。

「1年生」たちは新人に課せられた日課や厳しい教育、もちろん激しい猛練習にも明け暮れていく。僕自身も入団4年目・・・

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