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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第92回 第二の故郷 宮崎【4】

 

第二次長嶋政権2年目、1994年のキャンプで漁師の「プロの勘」に驚かされる出来事が……


西やんの「予言」


 それにしても、宮崎・青島の漁師の「プロの勘」は驚くべきものだと知らされる出来事があった。それは第二次長嶋巨人2年目の1994年、宮崎キャンプも第3クールに入ったバレンタインデーのころだった。落合博満さんが入団し、松井秀喜も2年目を迎えてにぎわう宮崎に続々とファンが全国から足を運ぶ。

 長嶋茂雄監督はキャンプ日程に紅白戦を組み込んでいた。しかし、天気は皮肉なことに前日の曇天から紅白戦当日までに雨天になるという予報だった。前日、僕らは青島漁港の漁師たちと世界的サーファーのケリー・スレーターがやって来るラーメン屋で顔を合わせていたが、僕らの悩みは明日の天気……。雨となれば、紅白戦どころか、練習の行程は大きく変更となり、現場的にも足を運んでくれるファンの方々に対しても、はたまた大勢のマスコミでさえ、その影響を受けてしまう。

 ただ、こればかりはどうにもならない……。相手は自然だ。前夜はもう雨混じりの天気であり、明日の天気は「1日中雨」の予報になった。「この分じゃ、明日は無理だなあ」と、僕は弱音を吐いた。そんなネガティブな言葉しか出てこず、時折、窓を開けて外の景色を眺めるが、風にあおられたワシントニアパームの木に時折当たる雨の音と浜からの波の音が聞こえるだけで、それ以外は漆黒の闇が広がっているだけだった。

 僕らが失望しかけていたところに、いつものように漁師がやって来た。それは僕らが「西やん」と呼んでいる漁師だった。のちに西やんの名前は判明するのだが、俳優の西田敏行さんに容姿がよく似ていたので、僕らは勝手にそう呼んでいたのだった。

「香坂さんよ、どんげしょったと?」

「明日、紅白戦があるんですよ。でも明日は雨でしょ?」

 半ばあきらめていた僕が言う。すると西やんは、温和そうな表情をシリアスな表情にキッと切り替え、おもむろに外に出ていった。すぐに帰ってくると「明日は朝から雨だけどよ、昼には雨は上がるわ」。えっ? 止(や)む? 予報は「1日中雨」に変わったばかりだったので、それが信じられなかったが、西やんは「木花やろ? 試合は何時からよ?」(木花とは球場がある運動公園の地名)と聞くので、11時試合開始だと言うと「11時には雨は上がるわ。試合はできるちゃね」とさらりと言った。ホ、ホントかよ……。

 現在、ジャイアンツ一軍が使用している宮崎サンマリンスタジアムは2004年2月から一軍が使うようになったが、この第二次長嶋監督時代は同じ運動公園内のひむかスタジアムがメイン球場として使用されていた。僕の入団時の1980年はまだ名前もひむかスタジアムではなく、宮崎市営球場と呼ばれていて、宮崎市が管理を請け負っていた。

 僕が入団する前年くらいまでは・・・

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