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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第97回 全府中野球倶楽部【2】

 

今年度の全府中ナイン。左端が筆者[写真提供=筆者]


「週ベ」連載のきっかけ


 選手として読売巨人軍入団、1980年から5年という短い選手生活を経て、そこから35年間、球団職員として引き続き球団にお世話になり、3年前の2020年12月をもって僕は退団した。年齢も63歳になったばかりだった。巨人軍時代にはさまざまな出来事があった。それを思い起こし、この週刊ベースボールの連載では、その一つひとつを綴らせていただくチャンスをいただき、「モノを書く」という不慣れな作業ではあったが、自分なりに懐かしがり、また楽しみながら書かせてもらっている。

 すぐには退職したという実感は湧かないものの、頭をしばらく空っぽにして、のんびりする日を送る。ただ、そんな僕の人生の節目になったこのとき、全世界は「新型コロナウイルス」によるパンデミックに見舞われていた。退団のあいさつもシーズンオフの時期ということもあり、本来であればさまざまな催し物、会合などがあり、多くの方に直接会い、あいさつができるものと思っていた。しかし、コロナ禍で人に会うということが大きく制限される緊急事態に、その機会の多くは奪われ、電話やその他の手段で報告、御礼を伝えなくてはいけない。なんとももどかしい気持ちになったことが一番寂しかった。まあ、しかし、寂しがっていても何も始まらない……。さあ、どうする(笑)……。

 そんな折、週刊ベースボール編集部から連載執筆のお話をいただいた。実は僕は巨人軍のチーム付きの広報担当者時代に2回ほど、コラムを書いたことがあった。当時の「週べ」(週刊ベースボールの略称)の担当者との雑談で「一度やってみましょうよ」なんてノリで書いたものだった。確か平成の大エース・斎藤雅樹の求道者のような、なんともストイックな内面をグラウンド外で僕が見聞きし、感じ、書いたものだった。

 2回目は清原和博編だった。これは以前にもこの連載で書いた「清原お立ち台拒否事件」の話だ。すると週ベ担当者には「好評なので、連載として始めませんか」と言われる。ただ、そのころの僕は毎日の現場の広報業務でそのような時間を取ることが難しく、とてもありがたい話だったが、お断りするしかなかった。

 しかし、そんな数十年も前のことを覚えていてくれて、退団した僕にまた連載の話を提案していただけるなんて、ベースボール・マガジン社の池田哲雄社長、並びに当時の巨人担当記者だった井口英規さんには感謝の気持ちしかない。これでまた僕に野球と「接点」が生まれ、一人で勝手にワクワクしていた(笑)。この連載は「裏方が見たジャイアンツ」というとてもベタで、昭和チックなタイトルであり、主に僕の巨人軍時代の思い出を書いているものだが、当然素人である僕は果たしてコラムなるものとして成り立つのかという不安のほうが先に立っていた。しかし、自分の人生の中で何か残るものが一つできるのではないかという期待感は僕を駆り立てた。こうして連載を続けられているのは、皆さんの「面白かった」の言葉があるからかもしれない。

「昔、強かったんだよ」


 野球が取り持つ縁は不思議だということは以前にも書かせていただいた。全府中野球倶楽部のコーチとして野球にまた携われることになった経緯もやはり、きっかけは野球だった。僕の数十年来の友人、岡本兼一さんは航空自衛隊の幹部学校を卒業後・・・

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裏方が見たジャイアンツ

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ジャイアンツ一筋41年。元巨人軍広報による回想録!

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