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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「ナゴヤ球場に残る伝説 清原和博が放った場外弾」

 

1988年当時のナゴヤ球場。西武・清原が放った場外弾は、伝説として残っている


 うだるような暑さの名古屋へ出掛けた。熱田神宮にほど近い店でひつまぶしを食べて、覚王山の住宅街で芋けんぴを土産に買う。思えば名古屋に住んでいたのは一浪していた歳までだから、その昔、こういう洒落た店には縁がなかった。高校時代に足繁く通ったのは大盛りにしてくれる安いスパゲティ屋とか、ソフトボールのコーチをしていたおっちゃんが営んでいた長崎ちゃんぽんの旨い定食屋とか、そういう店ばかりだ。

 そんな名古屋でもっとも昔馴染みな場所は、と訊かれれば、もちろん子どものころに足繁く通ったナゴヤ球場である。新横浜から新幹線で西へ向かうとき、名古屋駅へ着く直前は決まって左側の車窓を見る。そうするとナゴヤ球場が見えるのだ。ところがオトナになってからは、その一瞬の楽しみを無粋なマンションが邪魔している。

 すでに外野スタンドは撤去されたナゴヤ球場だが、レフト場外には変わらず新幹線の高架があり、車窓からはナゴヤ球場がよく見えるはずだった。しかし、かなり前のことながら球場と高架の間にマンションが建って、車窓からのナゴヤ球場はほぼ遮られた。だから例えばV9達成直前のジャイアンツの伝説は今だと厳しくなる。

 1973年10月20日、中日球場(のちのナゴヤ球場)で行われたドラゴンズとタイガースの一戦は、タイガースが勝つか引き分ければジャイアンツのV9を阻止して、9年ぶりのリーグ優勝を決めることができた。負ければその直後の甲子園での直接対決で、勝ったほうが優勝となる。

 ジャイアンツは甲子園決戦に備えて東京駅を新幹線で発った。ドラゴンズとタイガースが試合をしている真っ最中、ジャイアンツの選手を乗せた新幹線が中日球場の横を通過した。車中から・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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