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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「フルスイングを貫いた“西のロマン砲”」

 

1988年には40歳でMVPに輝いた


 昭和の野球好きならこれが何の数列か、すぐにピンとくるはずだ。1970年からの10年間は27番、1980年からの3年間は44番、1983年からの6年間が60番――南海ホークスでプレーした19年間、門田博光の背番号はどんどん大きくなった。そしてオリックス・ブルーウェーブへ移籍した1989年からの2年間は78番、福岡ダイエーホークスへ移った最後の2年間、初めて番号が若返って、それでも53だった。

 27番で181本、44番で104本、60番で193本、78番で64本、53番で25本と、どの数字でもほぼ満遍なくホームランを放って辿り着いた通算567本のホームランは王貞治野村克也に次ぐ歴代3位。フルスイングを貫き、ひたすら遠くへ飛ばすことにロマンを感じていた門田が亡くなった。訃報を耳にして思い出したのが35年前、1988年のことだ。

 このシーズン、40歳だった門田はプロ19年目にして初めてフル出場(130試合)を果たした。しかも44本のホームランを打って125打点を叩き出し、2冠を獲得して史上最年長でのMVPに選ばれている。不惑での大活躍に、世間は門田を“中年の星”と呼んで讃えた。

 個人的な話をさせてもらえば、この年からプロ野球を観ることが仕事になり、1988年の秋から現役を引退してNHKサンデースポーツのキャスターとなった“山田久志番”を仰せつかった。そして1989年の夏・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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