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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「休養で得るエネルギー以上のノウハウを持っているからこそ」

 

10年前の8月、日米通算4000安打の金字塔を打ち立てたイチロー。試合に出続けるための優れた体のセンサーは、大記録と無関係ではない[写真=Getty Images]


 ちょうど10年前のことだ。

 2013年8月21日、イチローが日米通算4000安打を放った。この時点で日本では1278本、メジャーで2722本、合わせてちょうど4000本。イチローはその後もヒットを積み重ねて、引退するまでに4367本のヒットを放った。あらためて、イチローはなぜここまでの数のヒットを打てたのだろうか。

 もちろん、野球選手としての卓越した技術があったからにほかならないのだが、それだけでは20年で4000安打は打てない。もっと重要なのは、イチローが20年間、試合に出続けたということである。チームが休養を目的とした休みを取らせる以外、イチローが体調を理由に試合を欠場したのは2009年、第2回WBCの直後に胃潰瘍で8試合、ふくらはぎを痛めて8試合欠場したくらいだ。以下、01年にメジャーに移籍してから4000本のヒットを打つまでに、イチローが欠場した試合数である。

 01年5試合、02年5試合、03年3試合、04年1試合、05年フル出場、06年1試合、07年1試合、08年フル出場、09年16試合、10年フル出場、11年1試合、12年フル出場、13年7試合――イチローが所属したチームが戦ったのは2070試合、うちイチローが出場したのは2030試合。13年間での欠場は40試合だ。

 イチローはなぜ、ケガをしないのか。思い出すのは・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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