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佐藤道郎コラム 第28回「『早く打ってくれ!』と思いながら投げた現役最終登板 」

 

大洋の2年間は肩痛との闘いだった


2本の3ラン


 前回は1980年のアリゾナ・キャンプの話をしたよね。俺は前の年、大洋移籍1年目に肩が痛くなったんだけど、南海時代は、肩が痛くなると、いつも我慢して投げ込みをしたら治ったんだ。だから、このときもアリゾナで投げ込みをやったんだけど、本当に壊れちゃった。バカだね、俺も。20代と30代は体が違うのに。年齢を考えないとね(苦笑)。

 水割りのグラスも体の正面で見ていながらは持てるんだけど、そこから別の方向に顔をそらすともう痛くて持てなくなる。麻雀でツモのときはまったく痛くなかったけど、あれは正面向いてるしな(笑)。

 でもさ、俺は最終的には500試合登板だけど、最初の5年間で286試合、1年平均60試合近く投げた。投げるのが好きだし、リリーフだから試合だけじゃなく、ブルペンでも結構な球数を投げていたけど、それでも壊れなかったんだ。だから何となく、「俺の肩は壊れない」と思っていた。それが本当に壊れたときは、不安というよりは、びっくりしたよ。

 それでも、あの年は、一、二軍を行ったり来たりしながら、だましだまし投げていた。イースタンで投げているとき(5月14日)、保土ケ谷球場のロッテ戦で、落合(落合博満)に特大のホームランを打たれたこともあった。あの球場はフェンスの向こうに土手があって、さらに不動産屋の看板があったんだけど、その上を越えていったからね。「あれ、誰や?」と聞いたら「落合です」って。

 あいつはまだ入団2年目だったし、落合と言われても分からんかったけど・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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