週刊ベースボールONLINE

週ベ再録インタビュー 1997年1月5・12日号

スペシャル対談 野村克也(ヤクルト監督)×森祇晶(野球評論家)「プロ野球全体が野球の本質を忘れ、知性を忘れている」(野村)

 

1997年、見事な組織野球で2年ぶりの日本一に輝いたヤクルト。ここではかつて捕手として、監督としてライバル関係にあるとともに、よき理解者でもあった森祇晶氏[元巨人]との対談をお届けする。

森氏との対談は週べでもおなじみ。野村氏のトークはいつも以上に盛り上がる


野球の乱れが勝因


森 昨年1年間(1997年)、非力と言われたチームを率いて、日本一まで獲得しました。手持ちの戦力をつなぎ合わせての素晴らしい結果ですよ。チームを一つの作品とするなら、去年のスワローズは傑作中の傑作だったと思いますね。

野村 昨年を振り返ると、あらためて「野球ってなんだろう」と「なぜ勝てたんだろう」と疑問が湧いてきますね。その中で挙げられる一番の勝因は野球の乱れですよ。プロ野球全体が野球の本質から離れて、ただ投げて打ってという一本調子になっている。勝ち負けだけにとらわれている。野球は知性のスポーツと認識していましたが、最近はただホームランを期待するような味気ないものになっています。

森 頭を使った戦いというものから、場当たり的な戦いが多くなっているのは確かだね。

野村 監督たちの戦いの中で「勝てばいい」という風潮が強くなっている。そこには、選手たちの教育や躾(しつけ)はありません。われわれは年齢を重ねてきて、若いころには感じなかったことを感じるようになってきた。「文武兼ね備えてこそ無敵」という言葉がありますが、そういうものが少しずつ理解できるようになってきた。「武」のほうは枝葉に過ぎなくて、根幹は「文」なんです。しかし今はバランスが崩れている。

森 その傾向はあるね。

野村 今まで、森監督率いる西武、仰木(仰木彬)監督率いるオリックスと対戦しても特別な意識はなかったけど、1997年の日本シリーズは違いましたね。“茶髪集団”(西武のこと)には、野球界のためにも、アマチュア球界のためにも、そして選手のためにも負けられんなと思いましたね。

森 その意味はとても分かりますよ。

野村 自由奔放ということの履き違いがあると思うね。個性というものを間違って理解しているチームのように見えるんですよ。周りの人が承認し、認めたうえでのものが個性であって、流行だとかファッション性とかをことさらアピールするのは芸能人。ウチは、茶髪、ヒゲ禁止です。われわれの仕事というのは、グラウンドのプレーで感動を与えること。だから彼らには、まだ日本の野球界の頂点に立つのは早い、待ってくれと思いましたよ。

森 野村監督の場合・・・

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