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野村克也 追悼号 野村克也と私

真中満 野村克也追悼インタビュー「指導者となり、あらためて『野村ノート』を見返した」

 

入団した1993年は野村ヤクルトが初の日本一を遂げた年だった。レベルの高い外野陣に割って入るべく奮闘する日々。その中で吸収した「ノムラの考え」は、指導者となってからその効力を発揮するようになったという。

昨年7月に神宮球場で開催されたヤクルトOBによる特別試合。打席に立つ野村監督を支える真中氏[写真左]


 野村監督とは1月に行われたヤクルトの球団OB会総会でお会いしたのが最後でした。そのときは元気そうに見えたので、訃報を聞いて本当に驚きました。僕が「監督、真中です! ご無沙汰しています」とあいさつしたところ、「言わんでも分かるわ」といつもの調子でした。OBがたくさんいらしたので、分からなかったら嫌だと思って名乗ったんですけど、すかさず切り返されてしまいました(苦笑)。

 僕が入団したのは1993年。ドラフト3位で指名された後、日大の監督とともに入団前に顔を合わせたのが最初でした。その当時、練習不足で太っていた僕を見て、「どっちが監督か分からねえなあ」とチクリと言われたことを覚えています。「これがプロ野球の監督なんだ」と思わされるような、雰囲気のある方でした。

 春季キャンプでは噂どおり、毎晩ミーティングがありました。夕食を済ませた後の7時から8時の時間帯で、体力的にも限界で眠気が襲ってくるんですよ。そんな中、必死にメモを取っていたことを覚えています。今振り返れば、ためになることばかりでした。正直、現役時代にノートを見返すことはあまりなかったんですけど、指導者になった後に振り返って、役に立つことが本当に多かった気がします。

 また、あるとき監督に呼ばれて・・・

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