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よみがえる1970年代のプロ野球 70年代の記憶

【70's アトムズ&スワローズの記憶】弱小球団からの脱却へ 三原脩が過ごした3年間

 

1978年に初のリーグ優勝、日本一を成し遂げたヤクルトだが、70年代はまさにどん底からのスタートだった。そんなチームを少しずつ立て直していったのは、すでに監督として1500勝を挙げていた三原脩だった。その名将が率いた71年からの3年間を振り返る。
構成=小林篤 写真=BBM
週刊ベースボール 別冊空風号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(1) セ・リーグ編
2022年11月28日発売より


就任1年目の1971年に60歳を迎えた三原。これまで日本一4度の名将が少しずつチームを立て直していった


 勝率.264。今も球団史上最低勝率であるこの成績を記録したのは1970年の出来事である。チームは開幕から不振が続き、8月19日付で成績不振を理由に別所毅彦監督が辞任。小川善治二軍監督が一軍代理監督を務めるも流れは断ち切れず、8月25日の中日戦(神宮)で16連敗を喫した。130試合を戦い33勝92敗5分け。首位・巨人と45.5ゲーム差の最下位で、5位・中日にも22ゲームを離される屈辱のシーズンだった。

 球団創設以来、優勝はおろかAクラス入りも61年の一度のみ(3位)。そんな弱小球団を救うべく、ヤクルトの監督に新しく就任したのが三原脩だった。監督としてこれまで巨人、西鉄、大洋で6度のリーグ制覇を達成、日本一には西鉄での3連覇(56〜58年)を含む4度輝いている名将だ。68年からは近鉄の監督として3年を過ごし、万年最下位のチームを立て直していた。71年から3年契約でヤクルト監督に就任。娘婿にあたる中西太をヘッドコーチに据えて歩み出した。

 チームを変えるため、球団はオフに早速動いた・・・

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