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よみがえる1970年代のプロ野球 70年代の記憶

【70's ジャイアンツの記憶】球団史上唯一の屈辱を経て 長嶋巨人が紡いだドラマ

 

長嶋茂雄の涙の引退と指揮官就任、悪夢の最下位転落と逆襲のリーグ優勝。ローラーコースターのような浮き沈み、ドラマチックな展開の連続だった第1次長嶋政権が残したものとは。
写真=BBM
週刊ベースボール 別冊空風号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(1) セ・リーグ編
2022年11月28日発売より


1976年、長嶋監督は自身のリーグ初優勝を決めて笑顔が弾けた


最下位転落も「序章」


 1973年、栄光のV9。日本のスポーツと言えばプロ野球だった時代に、長きにわたって頂点に君臨し続け、果ては9年連続日本一という空前絶後の大偉業を成し遂げた。このときは日本中の誰も、それが「終わりの始まり」であったことには気づきもせず、わずか2年後に巨人史上最初で最後の最下位に沈むことなど、思い浮かべることすらできなかった。しかもそれが、希代のスーパースターである長嶋茂雄に率いられ、となればなおさらだ。

 74年のセ・リーグ、独走態勢に入るかと思われた阪神を8月後半に入って巨人がとらえる。だが、10連覇の夢が見えかけたのもつかの間、中日が一気に走り始めた。V9の中核を成したON、Oの王貞治が2年連続三冠王に向けて邁進したのに対し、Nこと長嶋茂雄は黄昏(たそがれ)の時を迎えていた。

 10月12日、中日の20年ぶりとなるリーグVが決定。リーグ10連覇が消滅した巨人が神宮でのヤクルト戦に逆転勝ちしたあと、長嶋は川上哲治監督、正力亨オーナーとともに会見を行い、「17年間現役を続け、今シーズンほど野球選手として肉体に老いを感じたことはなかった」と正式に引退を表明した。10月14日の引退セレモニー、伝説となっている長嶋のあいさつについては説明不要だろう。巨人ファンだけではない、日本中の野球ファンが涙した、最後の雄姿だった。

 背番号3のユニフォームを脱いだ長嶋は新たに「90」を背に、川上の後任として38歳の若さで巨人監督の座に就いた。無敵を誇ったV9時代、強過ぎたことに対するマンネリ感もあり、堅実で面白みのない川上野球からの脱却、華のある長嶋野球への進化に、ファンの期待は高まっていた。

 だが・・・

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