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よみがえる1970年代のプロ野球 激震STORY

1970年代事件史 球史を騒がせた衝撃のドラマ【パ・リーグ編】

 

1970年代のパ・リーグはまさに事件の中からスタートした。プロ野球史の汚点「黒い霧事件」だ。グラウンド内外でセ・リーグ以上に波乱万丈の10年間となった。
※野村解任騒動はこちらの記事にあるので、ここでは触れない。
週刊ベースボール 別冊冬桜号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(2) パ・リーグ編
2022年12月27日発売より


【事件1】太平洋×ロッテの壮絶遺恨試合 [1973-74年]



 73年、太平洋クラブ・ライオンズが誕生。前ロッテオーナー、中村長芳がオーナーになり、金田正一新監督に沸く古巣ロッテにかみつくことで話題づくりをし始めた。最初は他愛もないやり取りだったが、金田監督の挑発的発言に加え、両者が優勝争いを演じたことで特に太平洋ファンが本気になり危険水域に入っていく。6月1日からの4連戦(平和台)は暴動寸前でロッテナインが機動隊に守られ、宿舎に帰る騒ぎとなった。火種は翌74年も続き、5月23日、平和台の一戦では再び選手が球場に閉じ込められ、機動隊の装甲車に先導され、宿舎に帰った。このとき太平洋は少し前の乱闘の写真を使ったポスターをつくり、福岡市、福岡県警から「騒ぎをあおる行為」と注意され、一気に騒動は沈静化した。

【事件2】ロッテ放棄試合 [1971年]


 71年、前年優勝のロッテながら濃人渉監督がシーズン途中で二軍監督に降格する騒ぎになった。1つのきっかけとなったのが、7月13日、西宮での阪急戦だ。ロッテは7回表、1対4の劣勢で江藤慎一が先頭打者として打席に入り、2ストライク1ボールになってからの4球目を見送った。三振を確信した阪急の捕手・岡村浩二だが、審判はボールの判定。その後・・・

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