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【MLB】懐古調の美しい球場 アイビーリーグ出身のGM 一時代を築いたビジョナリーが死去

 

MLBに偉大な功績を残したルッキーノ氏。惜しまれつつ4月2日、78歳で死去した[写真は昨年8月、レッドソックスのイベントで]


 レッドソックスの元球団社長ラリー・ルッキーノが4月2日に78歳で亡くなった。球界きってのビジョナリー(先見の明がある人物)だった。一つの功績は球場。オリオールズの球団社長として、1992年にダウンタウンのカムデンヤードに懐古調の新球場を建設。大成功しその後MLBに新球場建設ラッシュが起きた。

 ルッキーノはそのあと、95年からパドレスに移り、ペトコ・パークのプロジェクトを推進、2001年12月からはレッドソックスでフェンウェイ・パークの10年越しの改装を指揮した。ファンはそれまではスタンドの狭いシートに縛り付けられていたが、広々としたコンコースで買い物や飲食を楽しみながら観戦、球場にいる時間をもっと楽しめるようになった。

 ロブ・マンフレッドMLBコミッショナーは「ファン・フレンドリーな球場を全米に広めるのに重要な役割を果たした」と高く評価している。彼がボストンに来る前、フェンウェイ・パークは取り壊しになると言われていた。改修費用は総額3億ドルに上ったが、ボストン市民が誇る歴史的建築物は残り、モンスターシートなどファンを楽しませる新たな工夫が付け加えられた。イエール大学出身で、野球経験のないセオ・エプスタインをGMに抜てきしたのもルッキーノだった。

 エプスタインがオリオールズの広報アシスタントだったときに知り合い、以後ルッキーノが球団を移る度に連れて行った。02年、ルッキーノの後押しもあり、28歳のエプスタインは野球史上最年少でレッドソックスのGMに就任。聡明なGMは04年、07年と同球団を世界一に導き、12年からはカブスに移り、16年に再び頂点に立った。

 今ではアイビーリーグ(※アメリカ東海岸の名門私立大学8校の総称)出身者が球団の編成本部長を務めるのは普通のことになっている。エプスタインは声明で「ラリーは私と私の多くの仲間に始まりを与え、信じ続けてくれた。勤勉で、ビジョンがあり、野球界の多くの人に深い影響を与えた」と感謝している。

 筆者も何度も現場でお会いしたが、エネルギッシュで、感情を表に出すタイプだった。レッドソックスの球団社長を02年から15年まで務め、3度世界一に輝いたが、ライバルのヤンキースに対しては闘志むき出し。02年にキューバ出身のホセ・コントレラス投手の獲得合戦で敗れたときは、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで「ヤンキースはEvil Empire(悪の帝国)。ラテンアメリカにまで魔の手を広げている」と批判。キャッチーで挑発的なこの言葉は広まり、その後両球団の対決を盛り上げるのに一役買った。

 レッドソックスのジョン・ヘンリーオーナーは「かけがえのない存在であり、私たち全員にとって惜しまれる存在」と故人を悼んだ。近年同球団は低迷しており、過去4年で3度も最下位に沈んだ。ヘンリーオーナーが補強にお金を使わないことにも批判が集まっている。

 現地記者は「ルッキーノがまだ球団にいれば、こんな屈辱を許しただろうか?」とルッキーノのリーダーシップを懐かしんでいる。

文=奥田秀樹 写真=Getty Images
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メジャーから発信! プロフェッショナル・アイデアの考察[文=奥田秀樹]

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