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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

山崎裕之(西武ほか)インタビュー<3>広岡監督就任1年目の1982年から2年連続日本一「勝つから、最初はいいんです」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ロッテ西武で二塁手として活躍した山崎裕之さんの最終回は、広岡達朗監督時代の西武の2連覇に貢献した時代のお話を伺いました。
文=落合修一

山崎裕之


広岡監督が来てライオンズは変わった


──1979年に山崎さんはロッテから新球団・西武ライオンズに移籍しました。

山崎 東京・池袋のサンシャイン60ビルにあった球団事務所に選手が集められ、「気をつけ」の練習からさせられました。「中指はズボンの折り目のところに置くんだ」と。プロ野球に入ってそんなことをさせられるなんて、西武って何という会社なのだろうと思いました。

──田淵幸一さんが阪神から、野村克也さんもロッテから移籍。元近鉄の土井正博さんや生え抜きの東尾修さん、大田卓司さんもいて、クセの強そうなメンバーです。

山崎 最初は寄せ集め集団でしたよね。これから強くなるぞという雰囲気はなかったです。当時の根本(根本陸夫)監督は細かいことを言わずに伸び伸びと野球をさせてくれました。1年目は開幕直前まで米フロリダ州ブレイデントンで春季キャンプをしたのですが、野村さんとは40日以上、ホテルの同じ部屋で寝泊まりしましたよ。よく本を読む人でしたね。あれだけ本を読むプロ野球選手は初めて見ました。ヤクルトの監督になってから格言みたいなことをよく言っていましたが、あのときから知識を蓄積していたのではないですか。

──ヤクルト監督時代に当時ロッテの山崎さんをトレードで獲得しようとした広岡達朗さんが、82年に西武の監督になりました。

山崎 不思議な縁を感じました。

──広岡監督になって、ライオンズは変わりましたか。

山崎 一番変わったのは食生活ですね。玄米を食べろ、遠征先でもビールはダメと。選手も馬鹿じゃないからホテルの自販機で缶ビールを買って部屋で飲んでから食事会場に行くとか、工夫をしていましたけど。

──田淵さんや東尾さんなどのベテラン勢が管理野球に反発したという話を聞きますが、山崎さんはどうだったのですか。

山崎 広岡さんについては、引退するきっかけになった出来事がありました・・・

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