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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

上田二朗(阪神ほか)インタビュー<2>巨人戦で9回二死までノーヒットノーラン「長嶋さんとの勝負を避けたら意味がなくなる」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。阪神などで活躍した華麗なるアンダースロー・上田二朗さんの2回目は、シーズン22勝を挙げた1973年の思い出の前編です。
文=落合修一

上田二朗


偶然のスローカーブから「22勝投手」へ


──東海大初のプロ野球選手として、ドラフト1位で1970年に阪神へ入団しました。

上田 上以外の投げ方の投手はサイドスローの鈴木皖武さんしか阪神にいませんでした。鈴木さんのピッチングをブルペンで見て、プロはこうなのかと。村山(村山実)さんや江夏(江夏豊)は、すご過ぎて参考になりません。

──江夏さんは上田さんより1歳下ですが、入団は3年早い。高卒4年目と思えないほどの風格でしたか。

上田 もうエースでしたね。村山さんとの2本柱で、別格でした。言動についてはみなさんがご存じのとおりでしたが、あれだけの実績なら当然です。「何や、こいつは」と思ったこともありますが……。あのころの投手陣は、最低でも10勝はしないと認めてもらえないところがあったんですよ。だから村山さん、江夏、若生智男さん、権藤正利さん以外はその他大勢みたいなものでした。

──上田さんの1年目は9勝8敗。惜しい!

上田 プロ3年目までは9勝、1勝、9勝でした。1年目は前半だけで7勝し、オールスターに出場しました。そしたら、試合中のブルペンで巨人の捕手の森さん(森昌彦、現森祇晶)に変化球のあれを投げろとかこれを投げろとか執拗に要求され、丸裸にされました(笑)。

──老獪なベテラン捕手らしい。

上田 チームメートの田淵(田淵幸一)さんも選ばれていたので田淵さんに捕ってもらいたかったんですけど、試合に出ていたんですよ。良くも悪くも、勉強になりました。

──当時の巨人は9連覇の真っ只中。

上田 私の1年目(70年)、阪神は77勝(49敗4分け、勝率.611)したんですよ。それでも優勝できなかった(巨人と2ゲーム差の2位)。3年目(72年)も・・・

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