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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1949年4月26日>8被本塁打、13失点でも自らのバットで3アーチ、9打点。15対13の完投勝利を挙げた投手

 

巨人時代の川崎徳次投手。1950年には故郷・九州に誕生した西鉄に移籍する[写真は当日のものではない]


異様に狭かった金沢・兼六園球場


 両翼85メートル、中堅までは90メートル。第2回石川国体の開催に合わせて1947年10月に完成した石川県営兼六園球場の、これが大きさだった。東京ドームの大きさが両翼100メートル、中堅まで122メートルあることから考えても、当時の兼六園球場がいかに狭かったかが分かる。

 翌48年4月25日に初めてプロ野球の試合、大陽対急映戦が開催されたが、この試合で大陽は5本のホームランを放っている(急映は1本)。この年の大陽のチーム本塁打数は39本(140試合)と、決して長打力のあるチームではなかった。それにもかかわらずこれだけホームランが量産されたのである。

 さすがに狭過ぎるということで同年9月には両翼90メートル、中堅まで97メートルに改修された。それでも中堅までの距離は依然として短く、加えて左中間、右中間にはふくらみがなかった。この箱庭のような球場を舞台にある「大記録」が達成されたのは、49年4月26日の巨人対大映戦であった。

 主役の名前は川崎徳次。戦前から南海の主力投手として鳴らし・・・

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