プロ15年目の1983年、延べ5球団目の阪神で野村収が得たのは「12球団から勝利投手」という前人未到の勲章だ
田淵、山本、星野と同期の「大卒ドライチ」だった
2022年までに、日本プロ野球には19人の全球団勝利投手、すなわちセ・パ12球団すべてから勝ち星を挙げたピッチャーが誕生している。その達成年を見てみると、05年に交流戦が始まってから数が激増していることが分かる。その数、実に16人。つまり、それ以前に達成した投手は長い歴史の中でわずか3人に過ぎない。かつてはセ・パそれぞれに最低2球団在籍しなければ全球団勝利を達成することができず、現在よりもはるかにハードルの高い記録であった。その第1号投手となったのが、野村収である。
平塚市出身の野村は、駒大からドラフト1位で1969年に地元の大洋(現
DeNA)に入団した。この年のドラフトは空前の当たり年で、同期には
田淵幸一(阪神)、
山本浩二(
広島)、
星野仙一(
中日)らがいた。その中にあって野村は、ルーキーイヤーはわずか1試合の登板、2年目の70年も1勝止まりと出遅れる。しかし71年は、4勝ながら124回2/3を投げて防御率は2.23とまずまずの成績を残した。野村からすれば、遅まきながら「さあ、これから」というところだろう。しかし彼に待っていたのは
ロッテへのトレード通告だった。
相手は
江藤慎一。この年首位打者を獲得した大打者だったから、ロッテとしても交換相手として大いに期待したはずだ。そして野村は・・・
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