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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1984年9月1日>「3000奪三振は門田から」。そう宣言した鈴木啓示に、フルスイングで応じた門田

 

鈴木啓示[近鉄]は1984年9月1日の南海戦[大阪]でかねてからの予告どおり、通算3000個目の三振を門田博光[南海]から奪った


大言壮語でも結果を残す男、それが鈴木


 モハメド・アリというボクサーがいた。1960〜70年代、華麗なフットワークと強烈なパンチでヘビー級王座に君臨した伝説のチャンピオンだ。何よりも有名なのは、その「ビッグマウス」だった。「俺は偉大だ」と広言し、相手を挑発する口振りは時に物議を醸したが、大きな注目と人気も集めた。日本のプロ野球界にも、その言動から記者に「アリのようだ」と言われた投手がいた。近鉄の大エース・鈴木啓示である。

「沈黙は金」と言われ、「男は黙って……」の精神が尊ばれた時代にあって、鈴木は勝っても負けても記者の前でよくしゃべった。物怖(お)じしない自信に満ちた発言が大言壮語と思われたこともあったが、しかし彼は実際にアリにも劣らぬ実績を残してきた。66年に育英高からドラフト2位で近鉄に入団すると、左腕から繰り出される剛速球を武器に1年目からいきなり10勝を挙げた。翌67年からは5年連続で20勝以上、6年連続でリーグ最多奪三振を記録。直球一本槍の投球に行き詰まり、思うように勝てなくなった時期もあったが、74年に監督に就任した西本幸雄の粘り強い説得もあり技巧派に転向。奪三振数こそ減ったが、77年(20勝)、78年(25勝)と最多勝に輝いた。

 勝利投手になれば「打たれる気がせんな」と豪語し、200勝を達成したときも・・・

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