言うまでもないことだが、日本シリーズは、4勝したチームが勝者となる。この4勝をいかにしてモノにするかに監督たちは心を砕くワケだが、その結末が4連勝となったら、これほどうれしいこともないだろう。それも、3連敗のあとの4連勝(引き分けを挟むケースも含む)なら、これは、もうドラマを超えている(このパターンは、シリーズ史上3度ある。58、86、89年)。日本シリーズ65回の歴史から4連勝の歓喜とその裏返しの4連敗の屈辱の人間ドラマを紹介してみたい。 文=大内隆雄、写真=BBM 4連勝シリーズは名勝負というより監督の能力と選手の勢いが見もの
日本シリーズは、1950年の第1回から数えて今年で66回目。これだけの歴史の厚みがあると、あらゆるパターンの名勝負が登場するのだが、一方が4連勝でケリをつけるというのは、名勝負の範ちゅうには入らないのかもしれない(3連敗4連勝は、ちょっと別扱いにしたい)。アレアレアレのうちに日本一チームが決まってしまうからだ。しかし、その勢いを作ることができるのは、有能な指揮官に率いられた本当に強いチームにのみ許されたことであるのも確かなのだ。
過去に、4連勝で日本一を手にした監督は13人いる。年代順に、西鉄・
三原脩(57、58、60年)、南海・
鶴岡一人(59年)、東映・
水原茂(62年)、
巨人・
川上哲治(73年)、阪急・
上田利治(75年)、
西武・
森祇晶(86、90年)、巨人・
藤田元司(89年)、巨人・
長嶋茂雄(00年)、巨人・
原辰徳(02年)、
ロッテ・バレンタイン(05年)、
日本ハム・ヒルマン(06年)、
中日・
落合博満(07年)、
ソフトバンク・
秋山幸二(14年)である。いずれも大監督、名監督ばかり。まあ、4タテ(引き分けを挟む)を食らった方の延べ16人の監督は、お気の毒さまとしか言いようがないのだが、この中にも大監督、名監督たちがたくさんいる。
水原監督のように、やられて(57、58年)、やり返した(62年)人もいるから面白い。藤田監督はやって(89年)、やり返された(90年)ケース。ヒルマン監督と落合監督は、06年にヒルマン監督がやり、07年に落合監督がやり返す1勝1敗型。いずれも4勝1敗で、06年の初戦は中日・
川上憲伸が日本ハム・
ダルビッシュ有に投げ勝ち、07年の初戦はその裏返し。いずれもエースで負けたあと4連勝なのだから日本シリーズは難しい。06年は第5戦でダルビッシュが川上に投げ勝つリベンジV。07年の第5戦は、あの中日・
山井大介が8回までパーフェクトピッチングなのに
岩瀬仁紀に9回のマウンドを譲るという「まさか!」の展開。落合監督に非難の声が集中したが、1対0の展開。何としても日本一になりたいという落合監督の執念だったのだろう。9回裏、ベンチで号泣する落合監督を見たら、まあ、分からないでもないな、と思ったことだった。この試合、日本ハムの先発はダルビッシュだったが、どんな気持ちで見ていたのだろうか。ダルビッシュは13年のレンジャーズの開幕戦(対アストロズ)で9回二死までパーフェクト。この07年の第5戦のことが頭を過よぎったかもしれない。
こんなことを書いているとキリがないのだが、日本シリーズ史上初の4連勝(57年)からあらためてスタートしよう。
初の無敗日本一(57年)の三原監督はなぜか「記憶が薄れている」
三原監督率いる西鉄は、2度目の日本シリーズとなる56年の対巨人シリーズで4勝2敗で初の日本一となった。巨人を追われて西鉄の監督となった三原にとっては、大願成就となったのだが、選手たちの手綱は絞りに絞ったままだった。第1戦当日のミーティングは「今日は負けてもいい。巨人は何と言っても日本一のチーム。じっくりそのチームを見てみなさい」と驚くべきことを言った。ハヤる若手中心の西鉄ナインに冷水をぶっかけるような三原のひと言だった。・・・
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