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野球浪漫2014

オリックス・佐藤達也の「家族」への思い

 

「ホンダで定年まで働くのと同じだけ稼ぐ自信あるのか?」
 プロ入りを決めたとき、ホンダの長谷川寿監督からかけられた言葉はユーモアの混じった厳しいものだった。高校、大学とほとんど無名で過ごしてきた右腕は「そんな自信なかったですよ」と、当然といわんばかりに笑った。それでも3年目を迎え、気づけば球界を代表するセットアッパーに。その躍進の根底には、家族の存在があった。

文=大石豊佳(サンケイスポーツ) 写真=佐藤真一、BBM



 4男3女、7人兄弟の末っ子。一番上の長女・和枝さんとは17歳も離れており、最近では珍しい大家族だ。父・一男さんは普通の会社員で、とてもではないが裕福な家庭とは言えなかった。生家はさいたま市内にある2階建ての借家で、寝るときは6畳の3部屋に2、3人で雑魚寝。父は居間で寝ることがほとんどだったという。

 そんな中、野球との出合いは偶然だった。幼少期は漫画『スラムダンク』の影響でバスケットボールに夢中で、中学でも続けるつもりだった。しかし入学した地元のさいたま市立指扇中学にはバスケ部がなかった。迷った末に「友達もいたし」という理由で野球部に入部。当時は主に外野で、のびのびと3年間を過ごした。

 その後、大宮武蔵野高に進学。「県大会の1回戦で勝てればいい方」という甲子園とは無縁の県立高校だ。高校から本格的に投手に専念したが、2、3年と夏の県大会は初戦で敗退。プロなど意識するはずもなく、同世代のダルビッシュ有涌井秀章らの活躍をテレビで観戦するだけだった。

▲大宮武蔵野高から本格的に投手に専念した



「そんなもんかな」


 しかし、北海道学生野球連盟の北海道東海大に進学すると、130キロ台だった直球が140キロ後半まで伸びるなど徐々に才能が開花し始めた。肩の強さはソフトボールで国体の県代表になったこともあるという母・ひろ子さん譲りだ。父・一男さんはスポーツとはあまり縁がなかったようで、野球を始めたころのキャッチボール相手もほとんどが母。「母親に似てよかったですね」と笑う。

 大学まで進学したのは、7人兄弟の中で唯一。私立で単身ということもあり「退職金をほとんど使ってもらったんじゃないかな」という。続けさせてもらった野球で、妥協するわけにはいかなかった。3年の秋にはエースとして同校の優勝に貢献。最優秀投手賞にも輝き、徐々にプロのスカウトからも注目されるようになった。しかし4年で腰痛を発症したことなどもあり、志望届けを提出したが指名されることはなかった。それでも「そんなもんかな」と切り替えは早く、社会人のホンダへとステップアップしていった。

 ホンダでは途中からリリーフに転向。これが大きな転機となった・・・

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