週刊ベースボールONLINE


ヤクルト躍進の要因を探る

 

2年連続でセ・リーグ最下位のヤクルト真中満新監督を迎えた今シーズンは、5月になり借金生活となってしまったが、なんとか上位争いに食い込んでいる。過去に優勝は6度達成しているが、この2年間は最下位に低迷しているヤクルトに何が起きたのか。現在の躍進の要因を解き明かしてみたい。

開幕から好調を維持しているヤクルト。この勢いをどこまで持続することができるか



投手力の強化で優勝争いの台風の目に


 国鉄、サンケイを前身とするヤクルトは、かつてはセ・リーグのお荷物球団であった。50年の2リーグ分立の際に誕生したが、1年目は開幕から23試合経っても2勝20敗1分けで勝率.091だ。終わってみれば7位でその下の8位に広島がいたが(50年は8球団制)、その広島は75年に球団誕生26年目で初優勝したものの、ヤクルトはできない。初めて優勝したのは広岡達朗監督率いる78年である。しかし、翌79年には最下位に転落。ヤクルトの時代は訪れない。

 89年末に野村克也が監督に就任。77年末に南海の監督兼捕手の座を追われてからロッテ西武で現役を続行し13年ぶりのユニフォームである。野村新監督はぬるま湯的体質に浸っているヤクルトに対して「選手の野球への取り組み方、考え方を変えることでチームを改革できないか」と意識革命を第一に挙げた。強肩の捕手の獲得を熱望し、就任直後に行われたドラフト会議ではヤマハの西村竜次投手の次に、トヨタ自動車の古田敦也捕手を指名した。89年のヤクルトの盗塁阻止率は26.8%でセ・リーグ最低であった。

 就任1年目の90年は初め、前年の正捕手の秦真司をそのまま使っていたが、1カ月もしないうちに新人の古田をレギュラーに抜てきした。古田は強肩の捕手であった。阻止率は52.7%でリーグ随一。1年目の打率は.250であったが、2年目には打率.3398で首位打者。古田の獲得はヤクルト再生の大きな力になった。野村プラス古田の二人三脚でヤクルトは90年から98年の9年間に4度優勝し、日本シリーズにも93、95、97年と3度制覇。ヤクルトの時代が到来したが、98年を最後に野村監督が去ると、昨年までの16年間に、若松勉監督の01年に1度優勝しただけである。

 10年途中に就任した小川淳司監督は1年目こそ.621と手腕を発揮し、2年目も.543で2位になったが、3年目の12年は.511、13年は.407、14年は.426と低迷して退任した。

 今シーズンから指揮を執る真中満監督は開幕から14試合連続3失点以下で投手陣の整備に成功。この投手陣でヤクルトは4月17日にはついに首位に立つ。ヤクルトが4月末に首位を占めているのは、球団が誕生してから昨年まで6度しかないが、今年は4月29日までキープしていた。



 4月末まで首位にいたヤクルトの同年の最終順位は、61年が3位、80年が2位、95、97年は1位で、11年が2位、12年は3位だから今年も期待ができるわけである。

 ただし・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

記録の手帳

記録の手帳

プロ野球アナリスト千葉功によるコラム。様々な数値から野球の面白さを解説。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング