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作家・北方謙三氏が語る 黒田博樹の“男気”

 



構成=編集部

「若い奴らには、とにかく今は黒田投手の生き様だけを見ておけと言いたい」


 黒田投手が考えている男気とは、武士道に近いものだろう。男気というものは日常のちょっとした部分で出たりするけれど、今の時代、大きな部分で男気を出す場所を皆が持ち合わせているわけではない。男気がなかなか見えてこない時代だということだ。そんな中、黒田投手が広島に戻ってきた。これ自体が非常に見えやすい男気と言えるだろうね。

「男は、自らを知る者のために死す」。

 これが男気というもの。では、アメリカ人は黒田投手のことを知っていたのか。アメリカで挙げた79の白星により、数字の上ではもちろん知っていた。しかし、魂の部分で知り合っていた日本人と黒田投手との関係を上回るものではなかった。だからこそ、彼は最後の場所として日本を選んだ。今の時代にしては非常に見えやすい男気であり、若い奴らに及ぼす影響も大きかったはずだよ。

 男気というものは、例えば会社では上司と部下の間にも存在するもの。けれど、これだけ見えやすい形にしたことは、スポーツ選手本来の姿を体現したと言える。スポーツ選手とは、周りが見て夢を抱くような存在。子どもたちが見ても、男気というのはこういうものだと分かるよう行動で示した。これは社会的な功績、精神的な教育効果が大きい。

 ヤンキースに残っていたら、今季は何勝するのか、三振はいくつ取るのか。数字の上ではもちろん評価される。ただ、男気というものはアメリカ人に理解されない。彼らが理解するのは数字であり、「ジェントル」、つまり紳士的かどうかということ。そして勇気。

 一方、日本独自の男気は武士の時代から存在するもので、「一所懸命」という言葉がある。これは自分の土地、武士としてのプライドを守ってくれるのならば、命を懸けて戦をするという意味。今の黒田投手は、その「一所懸命」を地で行っているのだろう。

 黒田投手が戻ってきたことで、日本の良さが再認識されたはず。東日本大震災の際、暴動も起きなかった事実が世界を驚かせた。そして彼は、何億円もの金を捨てて日本に戻ってきた。それだけ日本に魅力があるということを、アメリカの野球ファンは理解したかもしれないね。

 広島のファンは一言で言えば“濃い”。かつて西鉄がいた福岡にも同じことが言える。その独特な濃さが心地良いのかもしれない。広島だからこそ戻ったということもあるはずだ。

 あと1年、あるいは2年か──。黒田という投手は散り際を理解できる男だと思う。けれど、誰でもこうやって散っていくのだと考えながら散っていけるものではない。「もうダメだ、辞めよう」というものは、ヤンキースからカープに戻ってくることよりも見えやすい決断のはず。彼が言う「いつ最後の1球になってもいい」という言葉は重い。幸福な野球人生だと思うし、ずっと広島にいたら磨かれてはいなかった感性だろう。

 黒田投手はマウンドに立った時の面構え、そして眼がいい。勝負する男の眼。人生経験の少ない小僧がすぐ、こういう面構えになりたいと思っても無理な話だろう。今の時代、黒田投手のような一瞬で決まる勝負をしていない奴らが多いよ。それらが積み重なることで、一生の勝負となる。今は無理でも、死ぬときにそういう面構えをしていればいい。若い奴らには、とにかく今は黒田投手の生き様だけを見ておけと言いたいね。

PROFILE

撮影=塔下智士


きたかた・けんぞう●1947年10月26日生まれ。佐賀県唐津市出身。中央大学法学部法律学科在学中の1970年、純文学作品『明るい街へ』を同人誌に発表。同作が雑誌「新潮」(1970年3月号)に掲載され、作家としてデビュー。以後、『弔鐘はるかなり』『眠りなき夜』『さらば、荒野』と次々にヒット作を生み出し、日本のハードボイルド小説の旗手と呼ばれる。2005年には『水滸伝』で第9回司馬遼太郎賞を受賞。直木三十五賞、吉川英治文学賞、小説すばる新人賞の選考委員も務める。
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