週刊ベースボールONLINE

復活!セトヤマ雑記帳

オリックス球団本部長が綴る 新キャンプ地・宮崎の舞台裏

 

今年から一軍キャンプ地が宮古島から宮崎へと移ったオリックス。現在はオープン戦の真っ最中だが、“新キャンプ地効果”はあったのか。かつてロッテ球団社長時代に「セトヤマ雑記帳」を連載していた瀬戸山隆三球団本部長にその舞台裏をつづってもらった。
写真=佐藤真一

 宮崎市清武総合運動公園で行っていたオリックス・バファローズの春季キャンプが無事、終わりました。昨年までの沖縄県宮古島市からキャンプ地を移転し、1年目。地元の方々にご助力いただき、天候にも恵まれたことでチームは充実の日々を過ごすことができました。

 宮崎市との縁は実はこれが初めてではありません。ダイエー(現ソフトバンク)時代の2004年、九州密着を前面に出し、キャンプ地を高知市から移す仕事に携わりました。ロッテ球団社長時代にも誘致のお話をいただいたことがあります。長年、オリックスのキャンプ地だった宮古島は設備が老朽化していたことなどがあり、昨夏に宮崎への移転が決まりました。

 それ以来、宮崎市の方々には大変、ご協力をいただきました。球場はもちろん、ロッカールームなど施設の充実ぶりに、選手は非常に満足していました。中でもブルペンは仮設ながら7投手が同時に投げ込める仕様でした。来年からは10投手の投げ込みへの対応が可能になるように新設される予定です。投手陣の調整がおおむね順調だったのは、施設と無関係ではないと思っています。

 目下、二軍キャンプも宮古島から宮崎に移すことも視野に入れており、市が一軍と同じ球場を建設中です。二軍用の室内練習場の新設、駐車場の確保など課題は少なくありませんが、実現すれば一層、チームの強化にプラスに働くと考えています。

新キャンプ地でシーズンに向け、森脇監督も手ごたえをつかんだ



 関西からキャンプ地へのアクセスは飛躍的に向上しました。球場周辺でよく関西弁を耳にしましたね。さらに、宮崎市が同じく同市をキャンプ地とするソフトバンクと巨人の球場を周遊するバス「三球シャトル」を用意したため、他球団のファンの方々も足を運びやすかったようです。3万人近く集めた日もあり、印象としてはファンの方々の数が宮古島時代に比べると1ケタ、増えた感がありました。

 選手は注目されればされるほど、力が入るものです。大型補強との相乗効果でメディアを含めた人の目が増えたことで、練習は刺激に事欠かなかったと思います。練習後には金子千尋投手や糸井嘉男外野手が机を置き、即席のサイン会を開くなどしていました。球団が掲げる「ファンサービス・ファースト」をよく理解してくれているんだなとも思いました。

 ところで、宮崎県にはユニフォームのロゴでスポンサー契約を結んでいる、太陽電池製造などを手がける昭和シェル石油子会社「ソーラーフロンティア」が工場を国富町に置いています。キャンプ期間中、平野敦彦社長に激励をいただくなど、ご支援を受けている企業との関係強化の観点からも、宮崎移転の効果を実感しました。

 各選手の調整に目を向けると、ドラフト1位新人の山崎福也投手が加わり、触発されるように同じ左腕の松葉貴大投手、さらに阪神から移籍した白仁田寛和投手らがハイレベルの争いを展開しました。

 野手は中島裕之小谷野栄一両内野手が加わった効果はやはり大きく、ヘルマン、安達了一両内野手らとシーズンを通じ、競争を続けていくことを予感しました。投打にキャンプまではほぼイメージどおりにきました。新たなキャンプ地でしっかりと基礎を固めたチームが、これから本格化するオープン戦でどのように仕上がっていくか、楽しみですね。

PROFILE
せとやま・りゅうぞう●1953年9月18日生まれ。大阪府出身。大阪・住吉高から大阪市立大を経て77年にスーパー大手のダイエーに入社。88年に南海ホークス買収に尽力し、福岡ダイエーホークスに出向した。94年には代表に就き、2003年12月退団。04年3月、ロッテの代表に就任。球界再編問題が起きた04年には日本プロ野球組織の選手関係委員長として選手会と交渉した。06年から社長を兼任。12年からオリックスへ。
HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング