週刊ベースボールONLINE

野球浪漫2014

荻野貴司[ロッテ・外野手]

 

 ロッテが誇る韋駄天・荻野貴司。絶大なポテンシャルを持ちながらも、毎シーズンケガに苦しめられ、規定打席に到達したことはない。「故障さえなければ……」。ファンが抱く悔しさを、荻野貴自身が誰よりも味わってきた。だが、決して下を向くことはない。その経験もまた、成長の糧にすればいいのだから。
文=梶原紀章(千葉ロッテ広報) 写真=荒川ユウジ、BBM



 2009年12月9日。千葉県千葉市内のイベントホールにてロッテの新人入団会見が行われた。時を同じくしてこの日、兵庫県西宮市内のホテルでは阪神赤星憲広氏が引退を発表した。球史に残るスピードスターがユニフォームを脱いだ。そして同じ日に、新しいスピードスター・荻野貴司がロッテのユニフォームにソデを通した。喜と哀。二つの会見場での主役の表情はまったくの正反対。偶然ではあるが、奇妙な縁を感じてしまう一瞬だった。

 二人は翌年2月の沖縄・石垣島キャンプにて初めて言葉を交わす。赤星氏が野球評論家として訪問。「前から注目していたよ。なにか聞きたいことがあったら、遠慮せずに聞きに来いよ」と声をかけた。自身も社会人野球出身ということもあって、プロ入りする前から荻野貴のことを知っていた。そして同じようなタイプの選手として活躍してほしいと注目していた。

 荻野貴はあこがれの存在の言葉をひたすら直立不動で聞き入った。「ハイ」と力強く返事をするのが精いっぱいだった。

 赤星氏はプロ入り当初、打撃に苦しんだ。1年目のキャンプでは外野まで打球が飛ばないほど。足はある。出塁さえできれば、自分の持ち味を生かせるだけに、悩み苦しんだ。そんなとき、当時の指揮官・野村克也監督が声をかけた。「オマエみたいなタイプはもっとバットを短く持って打つのだ。ゴロでもセーフになるやろ」。全体練習が終わった後の室内練習場で、名将自ら身振り手振りを交えながら指導した。

 荻野貴もまた、同じようなキャンプを過ごした。打撃をいま一つアピールできず、もがき苦しむところ、金森栄治打撃コーチ(当時)がバットを短く持つよう指示した。「今も短く持っているけど、さらにこぶし一個分短く持ってもいいくらいだぞ」。まさに金言だった。

 そして、もう一つ、若者の才能を開花させた言葉があった・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

野球浪漫

野球浪漫

苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング