週刊ベースボールONLINE

プロ野球デキゴトロジー/5月7日

苦労人・加藤英司(南海)が5球団を渡り歩いての2000安打【1987年5月7日】

 

2000安打を放ち、花束で歓声にこたえる加藤



 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月7日だ。

 現在39歳の中日荒木雅博、38歳の巨人阿部慎之助が通算2000安打に着々と近づいているが、1987年5月7日に38歳で2000安打で到達したのが、南海(現ソフトバンク)・加藤英司(加藤秀司)だ。1球団のみの荒木、阿部とは違い、5球団を渡り歩いての達成だった。

 69年ドラフト2位で阪急入団。同年1位の山田久志、7位の福本豊とともに三羽烏とも言われ、首位打者2回、打点王3回、MVP1回に輝く、阪急黄金時代を支えた強打の左バッターだ。

 ただ、83年広島移籍後は84年近鉄、さらに86年巨人移籍と“渡り鳥”に。結局巨人では23安打のみで同年オフで解雇。そこで「拾ってくれた」(加藤)のが、南海だった。年俸は4500万円から1500万円に減り、周囲からはあと13本に迫っていた2000安打のための移籍とも言われたが、「お金も2000本もどうでもいい。ただ、野球をしたかっただけ。南海に恩返ししたい」と加藤。その言葉どおり、開幕から勝負強い打撃でチームに貢献していた。

 大阪球場での記録達成の試合は奇しくも古巣・阪急が相手。しかもマウンドにはかつての盟友・山田久志がいた。4対1と南海がリードしていた6回裏だった。先頭打者として打席に入った加藤が山田の7球目をとらえると右中間スタンドに飛び込む。名球会入りは三羽烏の中で加藤が最後でもあった。

「野球をやっていてよかった。ただ、これで終わるのは悔しい。ON(王貞治長嶋茂雄。ともに巨人)のようにきれいにやめようと思ったが、ゴミになるまでやらせてもらう」

 苦労人らしく含蓄ある言葉を残した加藤。結局、同年限りで引退となったが、110試合、68安打、打率.260と、しっかり意地を見せての幕引きだった。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング