大のラーメン好きで、一時はラーメン屋を経営し、自ら厨房にも立っていた
弱かったが、派手なユニフォームと個性派選手の存在もあってか、なぜか暗黒時代の印象がなかったのが、ホエールズ時代の大洋だった(それ以前、強かった時代が非常に短かったこともあるだろう)。
そして、その象徴的な選手が「オバQ」の異名を取り、特大ホームランを連発した
田代富雄だ。豪快さだけではなく、リーグ最多三振3回のもろさもまた、当時のホエールズっぽかった。
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月10日だ。
1991年10月10日は、ファンにヤジられつつも愛された、田代富雄の引退試合の日である。
この日は、対
阪神ダブルヘッダー。田代は第2試合に「四番・サード」として出場し、第1打席は二ゴロだった。実は、これで13打席(11打数)無安打。もっといえば、このシーズン1本もヒットは出ていなかった。まあ、だからこそ、引退するとも言えるだろうが。
次は3回裏二死で一番に入っていた
レイノルズが内野安打。このとき球場内のモニターで試合を見ていたのが、本誌でもおなじみの、やくみつる夫妻。ともに大の大洋ファンである。やくさんは「マサと豊が出れば、満塁で田代に回るな」と、あくまで“かなわぬ願い”として夫人に言ったという。
マサ、
高橋雅裕、豊、
高木豊である。この願いがかなう。2人が四球を選んで田代が打席に入ると、阪神・
葛西稔の投じた1球をこれでもかと強振。打球はレフトスタンドに飛び込む満塁弾だ。田代はこれでベンチに下がり、生涯最後の打席が満塁ホームランという、“オバQ”田代らしい引き際となった。
通算278号本塁打、試合後に胴上げもされた。会見では、涙を浮かべながらも笑顔で「王(貞治)さんの868号に比べれば大したことはないけど、278回はファンの方に夢を与えられたと思う」と語った。
写真=BBM