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追悼・星野仙一

追悼企画24/星野仙一、野球に恋した男「開幕から7連勝の快進撃」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

開幕からトラファンを熱狂


2002年開幕戦で完投勝利を飾った井川をしっかと抱きしめる星野監督


 阪神監督1年目の2002年春季キャンプ、マスコミ、ファンが殺到し、星野フィーバーとなった高知県安芸だが、当の星野監督が始めたのは、“当たり前”のことだった。

「前年まではキャンプで朝の散歩がなかったんだけど、きちんと起きて、寒いけど外で体操をして、おいしく朝食を取ろう、と。そういうところから僕は始めたわけだよ。そして、その散歩のときに、1年間の個人個人のテーマを口に出して言え、と。特に阪神は人気球団だから、報道陣も選手を密着マークしている。選手の発言が証拠として残るわけだ。

 それで、キャンプの終わりごろかな。誰かが『優勝してビールかけがしたい』と言い出した。僕は後ろで聞いていて『エッ』と驚いた。それまで『3割を打ちたい』『レギュラーを取りたい』と自分自身の目標しか出てこなかったけど、キャンプを過ごしているうちに『優勝したい』という発言が飛び出してね。これはおもろいな、と。僕だって本当のところは優勝できるなんて思っていない。ただ、やる以上は優勝を目指してスタートするわけだから。そういう気持ちに選手がなってきたということに、チームの変化を感じた。

 それに僕が楽天監督就任時と比較してラクだったのは、タイガースは前年まで敵として戦っていたチームだったということ。選手のことも半分くらいは理解していた。例えばこのポジションはこうしようというビジョンを、多少は持ちながらスタートできた。とはいえ、半分は分からないことだから、いろいろと分析しながらの1年となったけどね」(阪神80年史インタビュー)

 迎えたシーズン、開幕戦から星野阪神はファンを熱狂させる。

 3月30日、東京ドームでの宿敵巨人戦。打ってはアリアス桧山進次郎がホームラン、投げては井川慶が1失点完投で3対1の勝利。井川を笑顔で抱きしめた星野監督は、手渡されたウイニングボールを右尻のポケットにしまうと「大したもんや。俺よりもリラックスしとった」と笑った。翌31日もムーアが6回1失点の好投で開幕2連勝。その後、横浜にも3タテを食らわし、チーム64年ぶりの開幕5連勝。星野監督は「そんな昔に俺は生まれとらん」と言いながらも「みんなで歴史を塗り替えた」とご満悦だった。

 その後、ヤクルトにも連勝し、開幕7連勝。このとき、冗談ではなく、早くも関西には優勝ムードが漂っていた……。

<次回へ続く>

写真=BBM
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