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週刊ベースボール60周年記念企画

日本初のスイッチ投手、吉成昭三の登場と挫折?/週べ1964年2月10日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

南海・野村克也は自費キャンプ


表紙は村山実


 今回は『1964年2月10日増大号』。定価は10円上がって50円だ

 日本におけるスイッチ投手(左右投げ)の元祖は、88年南海入団の近田豊年と言われるが、実際には、64年巨人に入団した吉成昭三を第1号と言ったほうがいいのかもしれない。
 書き方があいまいなのは、吉成の場合、左右でのプロの登板歴が二軍でもないからだ。練習で投げていた、というだけなら、極端な話、ダルビッシュ有はどうなのか、になる。

 まずは、記事を要約し紹介するので読んでいただきたい。

 秋田南高から巨人入りした背番号59の吉成は「右投手」としてのプロ入りだったが、63年暮れ、初参加した練習で突然、コーチに「左で投げていいですか」と言ってきた。

「やってみろ」と言われて投げると、まったく違和感がない。
 聞いてみると、もともとは左利きで、中学では左右で試合に投げ、県内の大会で優勝。それなりに話題になったらしい。
 ただ、高校ではさほど実績はなく、右投手として巨人のテストを受け、練習生として合格した際の理由は、
「球は遅いが、コントロールはいい」だった。
実際、的当てのようなことをやらせると、ほぼ百発百中だったらしい。

 その後、春の宮崎キャンプでも連日左右で100球ずつを投げ、本人は「左のほうが指にかかる」と言っていたが、中尾コーチによれば「どちらもずば抜けたものはない。左右両刀使いでは、どちらも殺してしまう」とキャンプ終盤、左投げを禁止し、2月25日から右一本となった。

 吉成は別に左右投げにこだわったわけではないが、むしろ左に徹したかったようで「命令されましたから」と微妙なコメントをしていた。

 なお、近田は左右で使えるグラブでも話題になったが、吉成は右用1つでやっていた。
 
 吉成は一軍での登板歴はなく、その後、打撃投手になったとも聞く。
 あるかどうか定かではないが、のちの号で何か続報があれば、触れよう。

 巨人・王貞治は、このキャンプで、いわゆる「二本足打法」の練習にも取り組んでいた。
 王は言う。
「一本足打法はコツを飲み込んでいるからいつでもやれる。遠くに飛ばすのなら一本足打法だが、(国鉄の)金田(正一)さんらにタイミングを外されて苦しんだこともあった。機に応じて併用しようというのが僕の考えだ」

 なお、前年52本のシーズン本塁打記録を作った南海・野村克也は、契約でもめ、自費でのキャンプ参加になっていた。

西鉄ライオンズのキャンプ24時間


キャンプの様子を報じる記事


 今週の2枚目は西鉄の島原キャンプの様子を報じた記事。
 食事は朝食、中食、夕食、夜食とあるが、夜食の21時からはお茶漬けやうどん類なのか。

 では、またあした。
 いや、やはり今後土日は休みとします。実は週べの作業が土日が佳境で、もともときつかったので。


 最近、言い訳コメント多く申し訳ありませんが、先が長いので、身の丈でやっていきたいと思います。

 現在309号。創刊から7年目を迎えています。

 また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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