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松坂世代〜あの夏から20年目の延長戦vol.1〜

松坂大輔という人間は僕らの現在地を測る大切な存在/田中大貴コラム

 

5月10日時点で3試合に先発登板し、1勝を挙げている中日松坂大輔


兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサー・田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材。テレビで報じられなかった至極のエピソードを、コラムにして綴る。

【第1回のPICK UP PLAYER=松坂大輔[中日/投手]】

松坂世代に加わりたい


 いまから20年前の8月、気が付けば自転車を漕ぎ、吹き出す汗などお構いなしに高校のウエート・トレーニング場を目指していました。兵庫の片田舎の公立高校で甲子園を夢見ましたが、叶わず。ようやく気持ちを切り替え、受験勉強に身を入れ始めた矢先の出来事です。あの延長17回の、翌日の試合に受けた衝撃は……。

 始めはラジオを聞きながら、日本史の単語帳をめくっていました。しかし、ゲームが進むにつれ、込み上げてくる気持ちに我慢ができなくなります。テレビをつけ、サヨナラの瞬間、つまり、あの詰まった打球がセンター前に落ちた瞬間、単語帳を放り投げました。高校へと向かい、興奮する感情をただひたすらにトレーニングにぶつけながら思ったものです。

「松坂世代に加わりたい。彼らと勝負がしたい」

 この感情は今でも忘れることはありません。

 1998年、第80回全国高校野球甲子園大会準決勝。平成の怪物・松坂大輔率いる横浜高と、四国の怪腕・寺本四朗率いる明徳義塾高の激突。この年の春のセンバツ王者で、優勝候補大本命の横浜高が終盤まで追いかける展開。8回表まで大量6点のリードは明徳義塾高です。横浜高の春夏連覇は途絶えるのか……。周囲がそう思い始める8回裏でした。これから起こるプレーを、今でも鮮明に覚えています。

 横浜高は相手エラーでの出塁をきっかけにタイムリーなどで4点を奪い、たちまち2点差に。そして9回表のマウンドに前日のPL学園高との準々決勝で延長17回、250球を一人で投げ抜いた松坂がマウンドに上がるのです。

「信じられない」ことの連続でした。

 松坂がこの回を3人で完璧に抑えての9回裏。横浜高はヒット、バントヒット、フィルダースチョイスで無死満塁。ここで主砲・後藤武敏の2点タイムリーで遂に同点に追いつくのです。明徳義塾高は2番手でマウンドに上がっていた高橋一正から、寺本へ再び投手を戻して二死満塁までこぎつけます。

 連日の延長か? そう思った次のボールでした。左打者・柴武志の放った打球は、二塁手のグラブをかすめセンター前へ。その瞬間、グラウンドにいた明徳義塾高のナイン全員が力尽きたかのように、甲子園に倒れこむのです。まさに9人全員が同じ姿で黒土に倒れ伏したあの時、「伝説的な試合を残す、この世代に加わりたい。加われなくとも対戦したい」。マグマのように沸騰する当時18歳の僕の感情を今でも昨日のように覚えています。

松坂大輔はウソをつかない


 国民的ニュースになった1998年、夏の甲子園。説明するまでもなく野球ファンの皆さんならご存知だと思います。

 あれから、ちょうど20年。

 ゲームセットを迎えることなく、松坂世代の延長戦は続いていると僕は感じています。プロ野球界に進んだ90名以上の同世代も、プロ野球界に進めなかった同世代も、また野球には関係ない世代も「松坂世代」という言葉は自らの生きる指標になり、“松坂大輔”という人間は僕らそれぞれの現在地を測る大切な存在です。

 その“松坂大輔”と久々にインタビューで対峙する時間を頂きました。私が同い年ということもあり、春季キャンプの練習後に貴重な時間を割いてくれたのです。近年はまさに激動の野球人生。4年間在籍した福岡ソフトバンクホークスでは、メジャー・リーグから電撃復帰し、大きな話題をさらったものの、一軍登板は1試合、1イニングのみ。そして昨オフ、長年、酷使してきた肩、ヒジのケガと闘う中で告げられた自由契約でした。

 怪物と言われた男がプレーする場を失うかもしれない……。日本球界に飛び交う心配の声は日に日に膨らんでいるようにも感じました。

 そんな中で飛び込んできた中日ドラゴンズ入団テストのニュース。第一線を走ってきた男が、37歳、プロ20年目に挑むためにプロテストを受ける。僕には、なりふり構わず野球を続けようとする彼だからこそ、復活への物語が始まろうとしていると感じていました。

 これまで、アナウンサーとしてのべ1000人の方々にインタビューを行ってきました。15年間のアナウンサー人生で慣れているはずですが、彼と向き合って話すときはいつも心臓がギュッと締め付けられるような緊張感が走ります。今の自分の状況、状態を正直にどう感じているのか。素直に一番聞きたいことをぶつけました。

「正直に……?このままだと開幕ローテの1人に入れる可能性があると思う。そこを目指せる状態だと思っていますよ」

 言いよどみなく答えは返ってきました。続けて苦しんできた肩、そしてヒジに本当に痛みはないのか。

「これだけ腕が振れていますから。痛みがない証拠だと思います」

 たった2つの質問で夢は膨らみました。あの“松坂大輔”が一軍に帰ってきてくれる……。

 2008年にメジャー挑戦する際、ボストン・レッドソックスでワールド・シリーズを制した際。第2回WBCで世界の頂点に立った時、幸運にも現場で彼の言葉を聞いてきました。「松坂大輔という人間は自分にウソをつかない」。これが松坂という男の最大の魅力だと僕は思います。だからこそ「華」があるのです。インタビュー時に心臓が締め付けられそうな感覚になるのも、真実をぶつけてくる人間だからこそ、こちらも常にすべてをさらけ出さなければ、答えてもらえないからなのです。これまでの過去に対しても、これからの未来に対しても、現在の自分に対してもウソ偽りなく自分に向き合い、その自分に打ち勝とうとする人間力が彼を突き動かしています。

 高校も、プロ野球も、メジャー・リーグも、すべてのカテゴリーでトップを知る“松坂大輔”が、自分を分析して出した答えが「開幕時に一軍で投げている」でした。スポーツの世界に絶対はないけれど、自分にウソをつかない彼が口にした言葉を僕は信じ、取材者として、同世代として、ファンの一人として今年1年を追いかけたいと思います。

“松坂大輔”に憧れ、「松坂世代」という言葉に導かれ、大学でも野球を続け、プロの世界を目標にしたこともありました。野球を辞めても、いまだ野球を愛し、その魅力を醍醐味をメディアを通じて伝え続けようとしている自分がいます。同世代にはもうプレーはしていないけれど、野球に携わる人間がたくさんいるのは偶然ではなく、あの夏があったからに違いありません。

 1998年、あの夏から20年。

 僕も1980年世代に生まれた人間の一人として、松坂世代の面々の人生の1ページをこちらのコラムで野球を愛する皆様にお伝えできればと思っています。

 あの夏から20年、松坂世代の延長戦は終わることなく続いています!

文&写真=BBM

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