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第47回 ルーキー監督 vs 先の読めないプロ野球|「対決」で振り返るプロ野球史

 

ペナントレース最高勝率チームが優勝としたことがかえってポストシーズンと乖離の皮肉


2004年のプレーオフ元年、ペナント2位の西武がプレーオフでソフトバンクを下してリーグ優勝となった


 この連載も、ダルビッシュ有が、メジャーに旅立った2011年まで話が進んだから、いまは、現代野球の真っただ中。今回からは、筆者なりに考える現代野球のあるべき姿を示しながら書き進めたい。

 21世紀に入ってから特徴的なことは、ルーキー監督が1年目で即ペナントを手中にするケースが多いことである。そのまま日本一監督となった場合もかなりある。いや、ペナントを手にできなくても日本一監督となったルーキー監督さえ現れた。

 2001年、パ・リーグは就任2年目の梨田昌孝監督率いる近鉄が優勝したが、前年最下位からの一気のV。現代野球は、不確実性の時代に入ったのか、という印象を筆者は抱いた(実際、近鉄は防御率4.98という史上最悪の防御率で優勝したチームとなった。4.98はもちろん12球団最悪。しかし、チーム打率.280は12球団最高。こういう野球のチームが優勝する時代になったのである)。

 こういう時代なら、意外なことが連続しても少しも不思議ではない。

 02年は、巨人原辰徳監督が1年目で優勝、しかも、日本一に輝いた。長嶋茂雄監督の最後となった01年は、チーム防御率が4.45と巨人史上最悪を記録してしまった。セ・リーグ唯一の4点台。あの、初の最下位に沈んだ75年でさえ3.53。この“投壊”の責任を長嶋監督は取ったのかもしれない。02年はそこからV字回復の3.04。これは12球団トップだった。

 パ・リーグも西武・伊原春樹監督が1年目で優勝。両リーグ唯一の90勝。90勝をマークしたチームは、65年の巨人(91勝)までさかのぼらなければならない。2位の近鉄、ダイエーに、実に16.5ゲームの大差をつけてのブッチギリのV。

 しかし、不確実性の時代は何が起きるか分からない。その伊原西武が、日本シリーズでは、原巨人に4連敗してしまったのである。

 04年は、02年と同じくルーキー監督が両リーグの優勝監督となった。セ・リーグは中日落合博満監督。パ・リーグは西武・伊東勤監督。伊東監督の場合は、この年に始まったプレーオフで、勝率1位のダイエーを破っての優勝だった(西武は勝率2位)。

 筆者は、この年をペナントレースと日本シリーズの“乖離元年”と名付けたい。シーズン通算の勝率が1位ではないチームが優勝チームとなったのは、パ・リーグの2シーズン制時代(73〜82年)にもあったが、そのチームでも前後期いずれかを制した「優勝」チーム。しかし、04年の西武は、2位チームのままで優勝したのである。セ・リーグもプレーオフを採用した07年からは、両リーグともペナントレースの最高勝率チームを優勝として現在に至っているが、これはむしろ乖離を固定化する結果になっている。04〜06年のパ・リーグは、プレーオフを制したチームがリーグ優勝だったが、いまやプレーオフ、日本シリーズはペナントレースとはまったく切り離されたゲームになりおおせてしまった。

究極の下克上、10年のロッテの3位からの日本一。プロ野球の新しい楽しみ方の誕生か


 話を戻すと、08年は西武の渡辺久信監督が新人監督でペナントレースを制した。渡辺西武はペナントレースで優勝、クライマックスシリーズ(妙な名前をつけたものだ)でも日本ハムを下し、日本シリーズに進出。ここでも巨人を下した。

 しかし、10年にはペナントレース3位のチームが、とうとう日本一になってしまった。その監督もルーキー監督だった。ロッテ西村徳文監督だ。ロッテは優勝したソフトバンクに2.5ゲーム差の3位。しかし、クライマックスシリーズで西武に2連勝。ソフトバンクに4勝2敗でついに日本シリーズへ。ペナントレースでは9勝15敗と痛めつけられたソフトバンクに勝ったのだから、ロッテファンは狂喜乱舞。「下克上」が流行語になった。

 対中日日本シリーズ優勝後、西村監督は「和というスローガンのもとで一つになれた。全員が一つになって、よくやってくれた」と語ったが、恐らく、4位日本ハムに0.5ゲーム差で際どく3位にすべり込んだときに「失うものは何もない。こうなったら上を全部食ってやる!」とチームが一つになったのだろう。ロッテファンも同じような心理状態だったのではないか。これは、言ってみれば、新しいプロ野球の楽しみ方の誕生だった。その楽しみを教えてくれたのがルーキー監督だったところに、不確実性の時代がよく現れていたと言えないだろうか。

 2年後の12年、またもルーキー優勝監督が誕生した。日本ハム・栗山英樹監督だ。ダルビッシュを失ったチーム。栗山監督はコーチ経験がなく評論家からの転身。それにもかかわらず、栗山日本ハムは、西武を振り切って優勝。西武、ソフトバンク、楽天に負け越しながらも、ロッテ、オリックスからトコトン白星を集めて逃げ切った(2チーム計31勝14敗3分、勝率.689)。

 しかし、13年は一気に最下位転落。これも極端だったが、この傾向は、14年も続き、13年の覇者・楽天が最後にズルズルと負け続け最下位。田中将大ヤンキースに移ったとはいえ、優勝のソフトバンクから17ゲーム差の大差は「まさか」だった。現代はそういうプロ野球になっているのだ。

文=大内隆雄

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