野茂英雄がメジャー・リーグへの挑戦を志し海を渡ったのは1995年。マイナー契約でのスタートだったが同年5月にメジャーデビューを果たし、その年13勝6敗、236奪三振で新人王、最多奪三振。オールスターにも出場し、渡米1年目からセンセーションを巻き起こした。
ドジャーブルーのユニフォームに身を包んだ右腕は「今は邪魔する人もいないし、憧れていたメジャーでの野球に集中しているので充実しています」と、日本で抱えていたさまざまなストレスから解放され、ひたすらプレーに没頭。言葉の壁も気に掛けることなく「英語の勉強はしていません。なんのために通訳がいるんですか」と言い、食事も「食べられればなんでもいい」と問題にしなかった。
そんな野茂が当時、繰り返し口にしたのが「僕は力と力で勝負するためにメジャー・リーグに来たんです」という言葉。余計な物事をそぎ落としていった先に残されたのが、その信念だったのだろう。
近鉄入団1年目のインタビューで、野茂は次のように語っている。
「小さいころ、プロ野球は一つの夢でした。そして今、僕にサインをもらおうと駆け寄ってくる子どもたちがいる。あのころの僕と同じです。そんな子どもたちに『野茂は逃げる投手だ』なんて思われたくない。子どもたちの夢を壊すような逃げのピッチングだけは、絶対にしたくない」
メジャーの強打者たちに対しても逃げることなく「力と力の勝負」を挑み続けた、その勇敢で純粋な姿勢こそが後に続く日本人メジャーの道しるべとなったのかもしれない。
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