スピードガンなき時代、その球速は150キロ台後半に達していたと言われる。
伝説の豪腕、山口高志は1975年ドラフト1位で阪急に入団。大学、社会人を経てプロ入りした即戦力右腕は、直球一辺倒の全力投球で並み居る強打者をなぎ倒した。1年目に12勝を挙げ阪急の前期優勝、日本一に貢献し、新人王。球界のニューヒーローとしてまばゆい輝きを放ったが、栄光のときは短かった。
4年目の終盤に腰を痛めたのが原因で、8年目の82年限りで現役引退。身長170センチの決して大きくはない体を目いっぱい使う負荷の大きい投球スタイルに、入団当初から短命を予測する声は上がっていた。山口自身もそれは承知の上だった。
73年のドラフトで
ヤクルトに指名されながらプロ入りを拒否したときには「自分は体力がなく、しかも若いときから肩を使っている。だから、投手寿命はあと5、6年しかない」と語っており、また、プロ1年目オフの小誌インタビューで「投手寿命」について問われると、次のように答えている。
「僕はいたってのん気な方でして。変な話ですけど、もし車にはねられたらもう終わりでしょう?だから、長く野球をやっても、短くても、満足して後悔せんとユニフォームを脱げたら、それでいいと思うてるんですわ」
早過ぎる引退を自ら望んでいたわけもないが、それを覚悟した玉砕精神が当初から山口の中にはあった。だからこそ山口高志の名は、今も一抹の哀愁を漂わせるとともに、時代を超えて男のロマンをかき立てるのである。
写真=BBM