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FA制度30年

<CLOSE UP>翻弄され、飛躍へのきっかけにした男たち「人的補償」ストーリー

 

各球団がマネーゲームを繰り広げ、華々しく移籍していくFA選手がいる一方で、人的補償により移籍を余儀なくされる選手もいる。28人のプロテクト枠をめぐるせめぎ合いは過去も現在も変わらない。ここでは、この制度に翻弄された選手、逆にステップアップのきっかけとした6選手を取り上げる。

2005オフ 江藤智(巨人→西武)【豊田清の人的補償】史上初のFA移籍&人的補償


3球団目となる西武では4シーズンにわたってプレーした


 本塁打王2度と、広島の主砲だった江藤智巨人へ移籍したのは1999年オフのことだった。巨人・長嶋茂雄監督が自ら着けていた背番号33を「江藤君に譲る」。永久欠番だった自身の「3」を復活させるという誠意を見せ、入団が実現したのだった。

 そんな男が、のちに人的補償で西武へ移籍するなど、誰が予想しただろうか。2000年から2年連続で30本塁打以上と、新天地での船出は順調だった。しかし02年以降は成績が下降。03年オフに巨人が同じ三塁手である小久保裕紀を無償トレードで獲得したことも逆風となり、05年はとうとう本塁打数がゼロに。同年オフに巨人が豊田清を西武から獲得すると、プロテクト枠を外れた江藤が人的補償で移籍することとなった。

 FA権を行使して他球団へ移籍した選手が、人的補償で他球団に移る初のケースとなった。それでも江藤は「巨人での6年間はいい思い出ばかりだった」と、さわやかに巨人を去っていった。

2005オフ 小田幸平(巨人→中日)【野口茂樹の人的補償】「大もうけ」の中日移籍


 人的補償により移籍して輝く選手もいる。小田幸平のケースはその典型だったと言える。2005年オフ・・・

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