3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 希望は二刀流で20勝、20本塁打
今回は『1973年1月22日号』。定価は100円。
近鉄入団が決まった日大桜丘高のジャンボ仲根こと、
仲根正広。
センバツの優勝投手で、身長191センチ、体重88キロ(少し正月太りらしい)の長身投手。手のひら、腕の長さと、すべてがこれまでの日本人選手とは別次元。焼き肉屋を経営する父が身長178センチ、元日大柔道部員の兄も188センチと長身の家系だった。
しかも、当時、190センチの長身となると動きがスローなイメージもあったが、仲根の場合、100メートルが12秒2と俊敏性も兼ね備えていたという。
入団前後の記事を見ると、けっこうビッグマウスだ。
「来年の(オールスター)人気投票は僕が1位になるでしょう。太田さんが気の毒ですね」
これは先輩となる近鉄の人気者・
太田幸司をさしてのもの(記者の誘導尋問があったような唐突な言葉ではあるが)。
12月12日、入団内定の際には「近鉄を優勝させます。野球をやる以上、優勝しないと意味がない」と宣言。
さらに12月22日の入団発表では、
「僕はセ・リーグしか知らなかった。パ・リーグはほとんど知らない。近鉄の試合は太田さんが投げているのをちょっぴり見たことがあったかな」
これはビッグマウスというより、正直なだけか。
さらに記者たちに、
「みんな僕のことをジャンボというけど、僕は体が大きいからそう言われるとは思っていません。実力がジャンボだと解釈しているのです」
背番号は20。「これにちなんで20勝、20本塁打を達成してみたい」と言うとおり、目指すは二刀流。だが、まずは投手から始めたいという。
「投手としてのほうが公式戦に出るチャンスは多いと思います。投手としてはいろいろ言われますが、僕、本当はもっとスピードが出ますよ」
夏の甲子園で1回戦負けしたこともあって、投手より野手という声が多かったこともある。
ただし、生意気というわけではなかったようだ。そのあと親しくなった記者に、
「いままでずっと大きなことばかり言い続けてきましたからね。これでやらなかったら、いい笑いものにされてしまう。ここは意地でもやらなきゃ」
と表情を引き締め話していたという。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM