
1996年のハワイ優勝旅行での一枚[左が筆者、右が小俣氏。写真=筆者提供]
初勝利は「レモン味」
巨人軍広報の回顧録「裏方が見たジャイアンツ」というこの連載は、僕の「裏方」としての仕事の思い出を書かせてもらったが、プロ野球界だけでなく、あらゆる世界に「縁の下の力持ち」と言われる大事な存在がいる。巨人軍にも僕と同じく、多くの「裏方」たちがいたが、裏方は裏方で、それぞれがうまく連携しながら動いていた。今回は当時、裏方としてその存在感を発揮していた2人の先輩を紹介したい。1993年から2001年の
長嶋茂雄監督時代、時代劇ドラマ『水戸黄門』の助さん格さんのように長嶋監督の両隣をいつも固めていた2人、長嶋監督付広報の
小俣進さんと一軍サブマネジャーを務めていた所憲佐さんである。
まずは小俣さん……。
92年、巨人軍のチーム付広報の仕事はまだ慣れないこともあり、つらく、忙しい、嵐のような毎日だった。93年の宮崎春季キャンプの「長嶋フィーバー」のときには日本のスポーツのトップメディアが大挙して押し寄せ、僕らはさらに翻弄されていた。「でも、もうあんなことはないな。信じられないようなあの時代はもう2度と来ないよ」と語るのは、その時代に僕と同じくメディアの窓口として7年間、長嶋監督付広報として苦楽をともにした小俣さんだ。
現在71歳、巨人軍を退団されて久しく、昨年まで社会人の企業チーム、近年、躍進が目覚ましいセガサミー野球部のアドバイザーとして、スカウティングから選手への技術指導のほか、野球運営にかかわるあらゆる仕事に対して独自のネットワークを生かしながら、忙しく立ち回っていた。現在は横浜のリトルシニア・リーグの中本牧シニアで中学生の野球指導に携わっている。
僕よりも6歳年上で巨人軍の先輩にもあたる小俣さんは72年のドラフト会議で
広島東洋カープからドラフト5位指名を受け、社会人野球チームの大昭和製紙富士から入団。その後、巨人、
ロッテ、
日本ハムと渡り歩き、先発、中継ぎ、そしてワンポイント起用の左腕としてフル回転した。12年間の選手生活で174試合16勝18敗、防御率4.73の成績を残している。
僕が小俣さんを知ったのは・・・
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