2003年は現在の野球界につながる重要な変革が引き起こされた年だ。パ・リーグでプレーオフ導入が決定、04年に札幌に移転する日本ハムは東京最終年を戦った。 また、アテネ五輪切符を争うアジア選手権には、初めてオールプロでメンバーを構成して参加。 それから10年が経過し、現在の野球界にどのように影響しているのか考察した。 プレーオフはいつもパ・リーグから 04年からパ・リーグでプレーオフが導入されたから、03年はペナントレースで日本シリーズ出場2チームが決まった最終年である。それから10年、Vチームとプレーオフ勝者が違っても、6チームの半分に権利を与えても、ファンは楽しんでいる……。 文・大内隆雄
現在のプレーオフ制度を考える前に、40年前の73年から10年間に渡って行われた、ペナントレースを前期、後期に分け、その勝者同士でリーグ優勝を争うプレーオフがあったことを確認しておこう。
これはパ・リーグのみの挙行だったが、プレーオフはいつもパ・リーグから始まるようだ。この“第1次プレーオフ”は、パ・リーグの人気が低迷(72年まで
巨人が日本シリーズ8連覇。パ・リーグのVチームは歯が立たなかったのが大きい)、何とかファンを球場に取り戻そうと始めたものだった。この間に、
ロッテ、近鉄、日本ハムと60年代にはふるわなかった球団が優勝を経験。また、最強・阪急が日本シリーズでパ・リーグ2度目の3連覇と、10年間でパ・リーグはかなり活性化された。
しかし、前後期の試合数があまりにも少ないこと(それぞれ65試合)、前期のVチームが後期に緩んでしまうこと、前期と後期の間にブランクができてしまうことなどの「欠陥」が指摘され、やがて消えることに。
このプレーオフが突如復活するのが04年・・・
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