ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。 ※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む 堀内恒夫 
在籍1966―83/通算203勝139敗6S、防御率3.27
「18」とドラフト1位
セ・パ分立直後のエースは前年に南海から移籍していた
別所毅彦で、移籍後、在籍11シーズンで221勝(通算310勝)を挙げている。“時代”とはいえ、この間、6度の300投球回超えの鉄腕ぶりで、MVP2度、沢村賞1度。なお、戦前戦後は左腕の
中尾輝三(碩志)で、50年以降も3度の2ケタ勝利がある(
巨人一筋で通算209勝)。中尾は入団の39年から引退まで背番号「18」を背負い、「18」をエースナンバーにした男とも。実際、慶大のエースだった
藤田元司が入団年の57年に17勝で新人王を獲得すると、58年に中尾がコーチに転身したこともあり、「21」→「18」へと変更され、エースナンバーの継承と言われた。藤田はケガに泣かされてその後、実質的にエースは
城之内邦雄だったが・・・
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