
鉄壁と言われるようになった日本ハム外野陣だが、それまでは……[左から森本、新庄、稲葉]
北海道でプロ復帰
何度も言っていますが、社会人の住友金属鹿島を教えた3年間は、すごく楽しかったですね(2003年から05年)。こちらのアドバイスを素直に聞いてくれ、しかも、みるみるうまくなっていくじゃないですか。
ロッテの連中が素直じゃないとか、うまくならなかったという意味じゃないですよ(笑)。もともとのベースの部分が違いますしね。
もう少しやりたいという気持ちもあったんですが、2005年の秋、日本ハムから「コーチで来ないか」と声をかけてもらい、住金鹿島のコーチは辞めることになりました。
日本ハムのGMをしていた
高田繁さん(05年就任)からいただいた話です。同じチームでやっていたわけではないんですけど、高田さんが
巨人の二軍監督時代、僕が同じイースタンのロッテの二軍監督だったこともあり、いろいろ話をする機会があった。そこで何かを感じてくれたんじゃないですかね。「チームの体質を変えるため、ほかのチームでやっていたコーチを呼びたいんだ」という話をしていただきました。
考えてみると斬新ですよね。チームを変えたいとき、
中日、
阪神監督時代のセンさん(
星野仙一)がそうでしたが、トレードで選手を入れ替えるというのはあります。特に僕みたいに文句の多いベテランをね(笑)。あとは、もちろんコーチをガラリと変えることもたくさんあったけど、大抵、前の監督寄りのコーチを切って、新しい監督の派閥を呼んだりすることが多かった。監督が外国人のヒルマンだったこともあるでしょうね。日本球界に派閥なんてないし、高田さんもGMとして思い切ったことがやりやすかったのかもしれないです。
高田さんは、僕の目から見ると・・・
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