悔しさにまみれた東京時代を経て、北海道でつかんだレギュラーの座と優勝の喜び。名二塁手として5度のゴールデン・グラブ賞に輝き、日米で積み重ねた安打数は1507本。スタンドからの「賢介コール」を力に変え、ファンを沸かせ続けた背番号3がいま、惜しまれながらもバットを置いた。 取材・構成=松井進作 写真=高原由佳、BBM 涙のラストヒット
無我夢中で打ったNPB1499本目のヒットだった。9月27日のオリックス戦(札幌ドーム)で行われた引退試合。最終打席は8回裏に訪れた。「ずっと(泣くのを)我慢していたけど限界でした。どうやって打ったかも覚えていない」と本人が語った右翼フェンス直撃のヒット。涙で視界が遮(さえぎ)られながらも20年間で培ってきた技術は体が覚えていた。この日の主役に、満員のスタンドからの拍手と賢介コールが鳴り止むことはなかった。 ──引退試合からだいぶ日が経ちましたが、いまはどんな日々を過ごされているのですか。
田中賢 子どもたちと遊んだり、球団のイベントに参加したりと、引退したはずなのに何かとバタバタと忙しく過ごしていますね(笑)。まあ、気持ち的にはすっきりしていますけど。
──異例の1年前の引退宣言。決断に踏み切った一番の理由は?
田中賢 実はその前年にすでに一度引退しようと思っていたんです。家族にも話して8割、9割は決めていたんですけど、いままでお世話になった方たちにあいさつ回りも含めて話をしていくうちに、ある方に「やめ方って大切だよ」と言われて、自分の思いだけでやる、やらないを決められる年数ではないなと。いまだから話せることですが、そういういきさつもあって「あと1年だけやろうと──」。それは支えてくれた周囲の方たちのため、チームに良い影響を及ぼし、若手にもっと自分の何かを伝えてから誰もが納得できる形で退くことが、僕がすべき最善のやめ方なのかなと思って。
──1年先延ばしにして20年に及んだ現役生活になりましたが、やり残したこと、悔いはないですか。
田中賢 う~ん、悔いが残っていることなんてたくさんありますよ。もっとあのときにこうすれば良かったな、ああすれば良かったなとかね……。ただ・・・
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