プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 四番が並ぶ重量打線
通算2000安打に到達したタイプの違う3人が並ぶ1943年生まれの世代。各チームの四番打者がそろい、打順にぜいたくな悩みを抱える豪華な打線だ。
唯一、迷わずリードオフマンとなるのが“赤い手袋”
柴田勲。5度の盗塁王、通算579盗塁は、この世代に限らず抜群の数字で、左右の打席から通算2018安打を放った打棒も魅力。そんな柴田も
長嶋茂雄、
王貞治に挟まって
巨人の四番に座ったことがあり、その試合で本塁打を放っている。
【1943年生まれのベストナイン】(1943年4月2日~44年4月1日生まれ)
投手
佐々木宏一郎(近鉄ほか)
捕手
白仁天(東映ほか)
一塁手
松原誠(大洋ほか)
二塁手
住友平(阪急)
三塁手
大熊忠義(阪急)
遊撃手
阪本敏三(阪急ほか)
外野手
土井正博(近鉄ほか)
柴田勲(巨人)
長池徳二(阪急)
指名打者 マニエル(近鉄ほか)
近鉄で“18歳の四番打者”としてブレークしたのが外野にいる土井正博。四番が代名詞となっていることもあり、やはり四番打者の筆頭候補だろう。通算2452安打、465本塁打、1400打点と、この世代では打撃3部門すべてでトップの数字だ。
通算成績では届かないが、その近鉄を初優勝に導いた“赤鬼”マニエルも負けてはいない。79年から80年のリーグ連覇では、ともに四番打者として本塁打王に輝いた打棒は歴代屈指。守備に難があるため、指名打者として打撃に専念すれば、相手にとっては脅威となるだろう。
低迷する大洋を主砲として支え続けたのが一塁にいる松原誠だ。通算2095安打は、この世代では土井に次ぐ2位。攻守のバランスは四番候補では随一で、一塁守備では“股割りキャッチ”でファンを沸かせた。
阪急黄金時代の四番打者が長池徳二(徳士)。通算2000安打には届いていないが、安打に占める本塁打の割合は日本人選手では圧倒的で、「全打席で本塁打を狙っていた」と語るも、当時のプロ野球記録となる32試合連続安打をマークした安定感も魅力だ。
この世代は黄金時代の阪急を支えた選手が多いのも特徴。二塁の住友平は史上唯一、1人で無捕殺三重殺を決めたことでも球史に残り、三塁にいる大熊忠義は“世界の盗塁王”
福本豊に続く二番打者として、名遊撃手の阪本敏三は俊足ではないが投手のクセを盗んで盗塁王になった、いずれも職人タイプの“クセ者”たちだ。
控えも充実の強打者ぞろい

巨人・ホワイト
あまり打撃で期待されない捕手にもスキがない。来日時は捕手だったのが“駒沢の暴れん坊”と呼ばれた東映でも屈指の武闘派だった白仁天。外野手として台頭し、太平洋時代の75年には首位打者に輝いている。
“外国人枠”を考慮して控えに回したが、好打の助っ人が多い世代でもある。78年に本塁打王となった
ボビー・ミッチェル(
日本ハム)、79年の首位打者でもある名二塁手のミヤーン(大洋)、勝負強いスイッチヒッターの
ロイ・ホワイト(巨人)など、タイプも多彩。マニエルの死球禍や白の乱闘での退場なども補って余りある布陣だ。サヨナラ満塁本塁打が代名詞の
広野功(巨人ほか)、ガッツあふれる“ゴリ”
国貞泰汎が控えにいるのも心強い。
ただ、投手陣は層が厚くない。完全試合も達成した佐々木宏一郎が不動のエースで、2ケタ勝利5度の
大石弥太郎(
広島ほか)とリーグ最高勝率2度の
山中巽(
中日)とで三本柱がやっと。投手陣を援護するためにも、打線が打ちまくることが勝利への近道だろう。
写真=BBM