現在、『夏 甲子園2019全国49地区総展望』が発売中だ。同誌の中で令和元年の夏、初陣を飾る指揮官を取り上げているが、週刊ベースボールONLINEでも公開しよう。 「Chukyo」から「KYOEI」へ

愛知の名門・中京大中京高からライバル校・享栄高への転身は周囲を驚かせた
誰もが驚く転身から、1年が過ぎた。2010年まで母校でもある中京大中京高で指揮を執り、昨秋から享栄高の監督に就任した大藤敏行監督。「Chukyo」から「KYOEI」のユニフォームに着替え、令和元年の夏が新スタートの年となる。
「就任当初はブランクもあり、ぼけていましたけど、秋の県大会で2試合、春もこなして、やっと中京の時の感覚が戻ってきました。少しずつ、自信も出てきたところです」
2009年夏に
堂林翔太、
磯村嘉孝(ともに
広島)らを擁し、全国制覇を達成。翌年、監督を退任後も高校日本代表のヘッドコーチなどを歴任した。そして、昨年3月末。自身の高校、大学時代を含め約28年を過ごした梅村学園を離れ、享栄高に移った。
中京大中京高と享栄高は、東邦高、愛工大名電高とともに同じ愛知県の「私学4強」の一角として、長年しのぎを削り合った間柄。「禁断」とも言えるライバル校への転身は当時、全国的な話題となった。当然、中京OBからは、反発の声も挙がった。
「僕の人生。もう一度、子どもたちと夢を追いたかった」
とはいえ、やはり「中京」で育った男である。享栄監督として初めて迎えた公式戦当日は、さまざまな思いが去来し、ユニフォームに袖を通すのに30分もかかった。名刺を渡す際に、「中京大中京の――」と言ってしまうこともある。
「でも、もうユニフォームにも違和感はありません」
9年ぶりの夏は、「享栄の大藤」として堂々と迎える。
全国クラスを相手に真剣勝負
鶺春、夏を通じ19回の甲子園出場を誇る享栄は、00年春を最後に聖地から遠ざかっている。その古豪復活が、大藤監督に課されたミッションだ。享栄に来ると、バットを目いっぱい長く持ち、打席でベースから離れて立つ選手が目についた。「力がないということを自覚すること。打てないのに、プライドの高い子が多かった」。まずは、選手の意識を変えることから取り組み、形になりつつある。
以前は東海地区中心だった練習試合の相手も、星稜高(石川)や智弁和歌山高、龍谷大平安高(京都)など、全国クラスの強豪と積極的に組んだ。「5、6月は甲子園を狙う学校と、ギリギリの勝負をしないと」。ここにも新監督の考え、姿勢が現れている。
今年の享栄高は、選手も粒ぞろい。2年生左腕・
上田洸太朗や、バッテリーも組む双子の三島安貴と有貴、プロも熱視線を送る遊撃手の河田翔太、長打力のある佐久間崇太、籾山慎之助ら選手の能力は決して低くない。1年生にも有望株は多い。
「駒はそろってきた。しぶとさは、4強で一番あると思う。しぶとさ、執念を持って、力を出し切りたい」
春の県大会で4強入りし、夏はシード校として挑む。センバツ王者の東邦高を筆頭に、群雄割拠の戦国・愛知。享栄高にも、チャンスは十分にある。
PROFILE
おおふじ・としゆき●1962年4月13日生まれ。愛知県出身。中京高では2年夏に三塁手として甲子園出場。中京大では主将を務め、卒業後な静清工高のコーチを経て、90年8月に中京高(現中京大中京高)の監督に就任。97年春のセンバツ準優勝、2009年夏は43年ぶりの全国制覇へ導く。10年夏に勇退後、16、17年には侍ジャパンU-18のヘッドコーチ。18年から享栄高に赴任して野球部顧問となり、同8月に監督就任。