大島監督のサポート役

法大は今年1月1日付で大島公一監督[左、2021年から助監督]、2月1日付で高村祐助監督[右]が就任した[写真=BBM]
元猛牛戦士の絆は固い。
2月1日、高村祐氏が法大助監督に就任。8日に報道各社の取材に応じ、抱負を語った。
「久々にこのグラウンドで、このユニフォームを着ている自分に、まだ違和感があります。徐々に慣れていき日々、大島(公一)監督、学生と一緒に積み上げ、共有しながら、一つの目標に向かって進んでいきたい」
高村氏は宇都宮南高(栃木)の右腕エースとして、2年春(1986年)のセンバツで準優勝。法大では東京六大学リーグ通算16勝をマークした。92年ドラフト1位で近鉄に入団。1年目に13勝を挙げ、新人王を受賞した。2年目以降も先発ローテの一角で活躍。2004年オフの分配ドラフトで
楽天に入団し、05年限りで退団した。NPB通算83勝。現役引退後は07~15年まで楽天の投手コーチ、16~23年まで
ソフトバンクの投手コーチを務め、昨季限りで退団した。今年1月29日に日本学生野球協会の学生野球資格回復に関する規則4条による認定者となり、2月1日から法大の指導に当たっている。
「母校で指導できる機会は、なかなかないこと。こうしたチャンスをいただき、ありがたく思っています。プロ野球を経験した人たちが、学生野球の現場で指導するケースが増えていますが、日本学生野球協会とNPB、プロ野球選手会など、多くの関係者のご尽力があって今日がある。こうした道をつくっていただいたことは本当にありがたく、これまでに実績を残されてきた先輩方、そして、これからの人につないでいく意味でも、しっかりと職務を全うしていきたいと思います」
高村助監督にとって、大島監督は法大で2学年先輩で、近鉄でも同じ釜の飯を食べた仲である。今回の就任要請を受けたのも「一緒にいる時間が長かった大島監督がいるのは大きい」と決断した理由の一つ。お世話になった先輩のため、力になりたいと考えている。
NPB17年に及ぶ指導実績、技術を学生野球の現場に落とし込む。大島監督からは投手指導をメーンに託されているが「プロでもそうでしたが、全体を見ないことには始まらない」と、あくまでも指揮官をサポートする助監督として、学生一人ひとりと向き合う。
「フラットに選手を見て、どういう形にして持っていくかを考えていきたいと思います。少なからず、今までの経験値がある。そこを抽出しながら、学生たちに当てはめていきたい。ただ、こちらからは強制しません。実際にやるのは彼ら自身。自分で思考して、作り上げていかないと、人としても伸びないと思います。あくまでも、学生は学業が最優先。コミュニケーションを大事にし、学生からの声、意見も大事にしていきたいと思います」
楽天では
田中将大、
松井裕樹、ソフトバンクでは
千賀滉大らを指導。カテゴリーが異なるとはいえ、高卒選手の扱いには慣れている。距離を縮めていく作業に、時間はかからない。
プロ在籍時から動画でチェック
法大在学中はリーグ4連覇を経験している(高村助監督が携わったのは、1年春から2年春の3季)。法大として3度目のV4達成時の主将が大島監督だった。「背中で見せるタイプ。どっしりとセカンドのポジションで守っていました」と、学生当時を回顧する。
「4連覇のうち、3つのリーグ制覇を関わらせていただき、下級生でしたが、あの経験、喜びは覚えています。明治神宮外苑からキャンパスのある市ヶ谷までの優勝パレード。多くの一般学生、ファンも提灯行列で喜んでいました。今の学生にも味わってほしい。OBも『強い法政』を期待しているので、大島監督とともに頑張っていきたいと思います」
高村助監督は野球部合宿所で、学生と寝食をともにするという。プロ在籍中から「バス移動時など、動画でリーグ戦はチェックしてきました」と、法大への愛校心は、相当なものがある。54歳。母校への恩返しが始まった。
文=岡本朋祐