「権藤、権藤、雨、権藤……」。投げに投げたプロ1年目、69試合に登板し、35勝を挙げた。 来る日も来る日もマウンドに上がったのは、投手としてのプライドがあったからだ。 球史に確かな足跡を残した太く短い権藤博の投手生命に見るエースの思考。 投げることが投手の価値だった ルーキーイヤーの1961年、130試合の半分以上にあたる69試合に登板。1試合を9イニングで単純計算すると年間1170イニング、その1/3以上の429回1/3を投げた。この連投に次ぐ連投を指した「権藤、権藤、雨、権藤」はあまりに有名な言葉。だが、この酷使がたたり、3年目以降は思うような成績を残せず、65年には野手に転向した。「投手としてプレーできたのは実質3年」だと言う。
当時はそういう時代だったから、「投げろ」と言われれば投げるしかなかった。いまとは違う。監督をしていた人たちはみんな戦争帰り。濃人(渉)監督もそうで、弾をかいくぐって帰ってきた人に、「毎日野球ができて幸せだな。肩が痛い、ヒジが痛いといっても、命まで取られるわけじゃないだろう」なんて言われて、「イヤだ」と言えるわけがない。まあ、「命まで……」と言われてもこっちは知りませんよ、という感じなんだけど(笑)、そう思っている人たちに、言い訳してもムダだった。
それに、ほかのチームのエースたちもみんなそうやって投げていたから。「稲尾(和久)も杉浦(忠)も投げとるじゃないか」と言われれば、何も言えないよねえ。半面・・・
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