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HUMAN_STORY なぜ名将となり得たのか――。

巨人・原辰徳監督 新スタンダードへの挑戦と、勝負に対する合理主義 「どっぷり野球人なだけではプロ野球の監督、ジャイアンツの監督にはページ数が足りない」

 

3たびジャイアンツの指揮を執ることになった昨季は、5年間優勝から遠ざかったチームにタイトルをもたらした。今季も連覇は目前。監督通算勝利数でもV9監督・川上哲治の記録を塗り替え、球団トップに。リーグ優勝8回、日本一3回の名将はいかにして生まれたのか。
文=鷲田康(スポーツジャーナリスト) 写真=小山真司、BBM


原辰徳の原体験


 原辰徳にとって人生の1つの転機は、2003年オフに1度目の監督を辞したことだった。

 当時の巨人軍オーナーだった渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社代表取締役主筆)をして「読売グループ内の人事異動」と言わしめた原の退任、後任の堀内恒夫との監督交代劇。しかしもちろん実際は、1グループ企業内の人事異動ではなく、もっとキナ臭いものであった。

 監督就任1年目の02年にリーグ優勝、日本一と頂点に上りつめた原だったが、その年のオフには松井秀喜がメジャーに移籍。代役としてヤクルトで松井と本塁打王を争ったロベルト・ペタジーニを獲得して臨んだのが03年のシーズンだった。ところが開幕から故障者が続出、投手陣の不調もあって5月には阪神の独走を許すこととなる。そうして9月になると首位から10ゲーム差以上の大差をつけられ、優勝は絶望的となっていたのである。

 そんなシーズン終盤に、原は選手起用を巡って、当時のフロント幹部と激突した。選手を蔑(ないがし)ろにしたフロント幹部と選手を守ろうとした原の対立で、その結果、原は辞任を決意した。3年契約の2年目で優勝は逃したとはいえ、球団はもちろん読売新聞本社も続投を決めていた中での予定外の辞意だった。

 要は・・・

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